変な感覚

二十歳過ぎくらいの頃の自分の置かれてる状態を感覚で言い表すならば

崖っぷちに居る感覚、
もはや今まで敷かれてたレール

学校の分と、家庭の分、二本ともいっぺんになくなって
人波に押されて誰も後ろに並んでいない先頭を歩かされてる気分だった。

なんて心細い気分。
もう二十歳を過ぎれば今まで文句垂れつつも
乗るべき、歩くべきレールがあったのに今は、もうなくて
「行こうが行くまいがどうでもいいんだよ」っていう

車掌が
たくさんの乗り物をわきに添えて佇んでいるけど
どうにもそれらに乗れるような身分じゃなくて。
乗りっぱぐれては、、、の繰り返し

どうやらいつの間にか何らかの乗り物には乗れたようなのだけど
今度この年代になってくると

(簡単に乗れるような気がしたのに乗れなかった)竹馬に立たされて
(ついに竹馬か、、自力歩行の)
ヨロ付きながら歩いてる気がする。
深層心理を探ると、竹馬というのは
(年齢を重ねればやはり今まで見えなかったものが見えてくるということで)
一見見晴らしがいいのだけど、見えたら見えたで怖いのかも
足元はふらついて怖々だ。

これから先の老化に対しての心配だろうか
そんな気分になったりしてる。
若い時はまだまだ先だと若さではねのけられたけど
若さがなくなったら何ではねのける?

そういうことに徐々に気が付く。
性差別、年齢差別、美醜差別をして笑う。
まさに非色だ。
犬が卒倒するよ。猫もね、
理想論者のリベラルを気取るのがいるけど
明らかにその種の多いと思うテレビの人間が一番それをする。
皆、そこに向かって歩いているのに。
価値観が変なのだと思う。

最近、ささやかなことに幸福を感じる




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親は昔、っていうか最近まで子供だった

「回る~回る~よ時代は回る~喜び悲しみ…」♪
この歌ピッタリ。 子育てソングに

子供時代、親にされて嫌だったこと子供には絶対しない、なるったけしない
強く思ってるから確かにしない、けど今度は
思いもよらなかったことを子供は負担に思いつ育つ。
隔世で繰り返してるのかも、「自分の時の親にはこれが足りてなかった」の欲求不満。

親は最初から親だったわけじゃない。

子供時代そうだったように
親、特に母親は、子にとって絶対の存在。

子供のころ、とにかく母が怖かった。
いろいろ相談しても面倒臭い質問には
「大人になればわかる」で教えてもらえず。

それでも、厳しさが役に立ったこともあった。
人が先生に叱られてるとき、ちゃんとできてるのは母のおかげだったし
(勉強以外だけど) 道を大幅に踏み外さないのも母のおかげ、

でも、今は親がストレス扱いされてしまう時代なのか…かわいそうに

巡る順番。

確かに今でも母にいろんな部分で支配、コントロールされてると思う。
もういないのに
どうしても、かたくななところとか

親にも、子供時代母もいろいろあったんだと思う。
ここは過ぎる、ここは足りてなくて不満、なんてことが。
時代時代で、過ぎる、足りない、が順番に巡っているだけ。
世間へのストレス感が多いほど
順応能力の方が弱ってると自分のケースで考えればよくわかる。
親にも子供時代があって、それはつい最近で。



立ち位置





人がひどいこと言って傷つけられてる
その言葉にひどく傷つくわけだけど
言ってる本人は、その言葉よりも今までの相手やら自分の気に入らなかったことを
ちょうど、それを言う(いいタイミング)
「今だ!」と思って言ってるだけで

案外その言葉にそれほど深い意味がなかったりする。
心無い言葉は理不尽だけど、

これは日常で
たまに子に言ってしまうし、親に言われてもきた。
親子は深く考えるから一時的でも恨みもする、
でもバカでない限り感謝もする。

人に相談した時の師の答
親を善悪で判断するなと、
親は育てながらもブレるものだ、、確かにそう思う。

ん十年も前の話、尊敬する指導者に不思議なことを聞かれたことが有った。

「あなたは瞑想中前後左右上下などの感覚がなくなってしまうことが有るか」と真剣な目で
同等な立場に立った人への問いのように尋ねられたことがあった。
その境地は相当に行が進んだ人の境地ですよね、空中浮上みたいな(笑)
そこそこ20代だった私がそんな感覚掴めてるはずがないのに。
師は私を磨けば光るとか散々誉めそやして何かと随分買い被っておられたような。

いまだにこのていたらく。

同じ思想で固まる怪しい宗教

良くも悪くも石原都知事の行動力は他の追随を許さない勢い。
こんな行動力ある人はきっと何かに突き動かされてるのであって、
政局がらみではないと私は思う。

本人はとても弁が立つ人
立ちあがった心理も何もかも話してるのにメディアの嫌に勘ぐったコメントは
何を言いたいんだか、

政党のアジェンダ?これをはじめから全て決めておくこと
全て合致しなければ組めないなんて
それだったら考えかたが合わない人とはお友達にはなれない、
仲間内の危険行動を止める人、良いことと思う行為に発破をかける人が居なくなる
みんな同じ思想で固まる怪しい宗教みたい
経済は生ものなんだから
ある程度柔軟性を持って時期を見つつ行動を変えるのは構わないと思うのだけど。

ぶれないって逆に言えば危ないこと、基礎がぶれたらいけないけど。
やっぱり、政治は時代を読みながら、考えを日本国内外に伝えつつ柔軟に
対応、凝り固まった行動力旺盛な政治家に説得できる人が一緒に組めばいいのに。

「話し合えばいいじゃないですか」その通りと思う。

トップ独断の政治は恐いし、尖閣問題だってもっとうまく問題提起できたかもしれない。
今のままの石原さんではちょっと怖い、渡辺さんや橋下さんなどの留める人は大事と。

宗教の勧誘

宗教も本当に多種多様、うちにもいろんな宗教の勧誘の方がお見えになったが
熱心がゆえその勧誘が半端じゃない。

宗教そのものは有った方が良いし、日本は仏教的な慈悲精神が根付いた国と思うし
他宗教でも礼節を重んじるなど敬う精神が日本を健全に保っていると思う。

縁の有った宗教は
初手からあまり熱心ではなかったが、生きてゆく上での指南書として
書かれている教えそのものが素晴らしいので、個人的に唯一にした教え。
お布施など強要されることもなく。
他の宗教も認めていて、ふところの深さも良い(全ての教えはいずれ大海に通ず)
知る人ぞ知る由緒正しく、派手さもない、怪しさもない(笑)

今は亡き支部長は恐ろしいほどに見抜く人で、今まで生きてきた人生上最も尊敬する人。
支部長亡きあとは、熱心ではなくなりはしたものの
教えからかけ離れないよう、自重はしている。今はその程度。

そんな中で支部長は「この宗教は難しいことを言っているわけではない、人格形成あるのみ
階段を上がって行ってるなと思われるようにならないといけないよ」と笑いながら
言っておられたが、今の私は階段を上(下)がったり下ったり(笑)
亡くなられる90歳までかくしゃくとしておられ、
入院後も「あと何日で」と死期も悟られていた。

しかしまあこの行事の多いことといったら凄い「青年部」、などは若さに任せて
主要なメンバーになるとまるで一日中活動状態。

免れたところで(私への勧誘ではない)勧誘激しく重圧にへとへと。
仕事に従事しながらの責任も掛かる肩、そうそう引き受けられたものではない。

ところがここの宗教支部、実は個々の教祖が個人活動を始めている、
教えと違う、独自の主観が混ざり一人一人違ったことを言うので混乱。
人格形成?
本当にそこを目指しているのか?というほど押しつけが酷い。
自分が変わるでなく他者を変えようと必死。

支部長は、教えを柱としなさいと言っておられたのに。

今や、教祖だらけ。
もうもはや本物の教本そっちのけ
個人名のついた「○○○教」の教祖が、また教えを振りかざし強硬に勧誘。

教えは素晴らしいのに独自の(考え)教えが入っているので、だんだんと足は遠のく。
派手に動かなくてよいから茶話会などで教本でも読んでいればいいのに。





プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
196()年生まれの
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
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まざーぐーす
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