調べてみて驚く

さっそく驚いている

私こそ良く調べもせず「菊と刀」感想を書いたものだ。

英語のニュアンスなんて知らないからこの本の著者が女性だなど全く思いもせず
勝手に丸顔の赤ら顔のアメリカっぽいおっさんをイメージして読んでいた(笑)
調べてみて驚いた。
「菊と刀」よりよっぽどこの方の人物像のほうに関心が行く
確かに分析は緻密で女性特有の「思い込み」も?男女兼用?かな。
タイトルからして男っぽく思っていたもので。
急にトーンダウンするわたし。
意外や同じ女性の問題を取り扱っていてなおさらこの方さえもう少し
日本のことを正しく知ろうとしてくれていれば今の日本の女性の立場を改善できていたかも知れず。
優しいエンブリー夫妻のエラのように。   頑固そうで無理かな。

ちょっとわたくし踏み込み過ぎました。
うちもアメリカさんには大変お世話になっていますので今はあまり文句も言いませんが(笑)
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日本の村、人類学者その(2)




2019040309200379e.jpg

「忘れられた人類学者」本の表紙はエンブリー夫妻。
妻エラの写真は私の父の実家の兄嫁に似ている、以前書いた、声がとても優しく上品な叔母
目の当たりがもっと優しければ笑い方もそっくりだと思った。
面影を思い出すには充分な表紙、思わぬところで得をした気分。





今、ほぼ最終ページそろそろ終わりと言うところ。
この本で母の謎も解けるというものだ(笑)
母が何故あんなに正義感が強く人の面倒見が良いのか
子供が大好きだった。多分だけど男の子、聞かなかったけれど、これは(父も)普通そうだけど
その当時としては当たり前のように自立してキャリアウーマンのようだったのはなぜか
明るく親切で、困った人を助けようとするとか
何故、動物に優しいのかとか、虫の命まで大切にするのか
毎日とは言わないが酒宴を開くのが良く続くなと言うほど多かったのはなぜか
宗教的な行事をおろそかにしないとか


まだまだたくさんあるが、これが須恵村からくる村人の人柄に寄るものだとこの本を読んで
確信した。
馬が死んだら人が死んだ時のように深く落胆し、
と様子が書かれていたり「稲作の間に殺された虫の霊のために」供養する「植付けご供養」
~田植えと虫の命の供養と仏教、ただの稲作儀礼や民間信仰だけではない神仏習合とも異なる不思議な信仰心、
自然観がある、、(本書抜粋)とあるように
ともかく年中なんらかの宗教的行事、祭りが多い、単なるお仕着せの
信仰行事というよりは日常普通に身についた一連の動作のように心から当前のように行われていたような感じがする。
何処か、私的にインド的(常に神仏と共にある)な思考が出来上がってるように読んで感じた。

ここは昔は女性が(離婚を言い出す)三行半を突きつけてたみたいです、離婚が自由(笑)
ああ、この村が肯定的に参考にされ、
戦後GHQの頃、エンブリー夫妻の人類学を第一に聞いてもらえて、、
女性も自立が当たり前になるよう国に進言して政策が進められていたなら女性は
今よりも強く明るく自由に生きていかれたかもしれず、もちろん嫁姑関係で嫁に行った先からの不都合で
の離縁というのも有ったのだけれど。
エラが書いた「須恵村の女たち」は女性が過酷な中でもいかに立派だったかも書かれている
労働にしても、村にとっての働きにしても、よっぽど男性より気が利いていたと。
男性は軍人が威張ってる、場の空気が読めてない発言(笑)等、遊郭遊び、挙げ句病気をうつし、
子供を借金の、、、
朝鮮人の素行、印象の悪さ、ひそかに行われるお産、声をだしてはいけない?(座産とか)ありえないくらい凄い。
田舎の悲しい部分とかももちろんあるのだけれど、この村独特の助け合いやシステム
女性のたくましさなどまだまだ書ききれていないが、お隣りの上村や旧免田町とも違っていたらしい。



母は畑の中にいくつか建てられた中の祖母のお墓参りをすると口癖のように
「私の墓前には造花を供えんようにね」とか言っていたっけ、悲しく思う。
こんなに早くそんな日々が来るなんて思いもせず、造花など飾りませんがなかなか行けず。

足にガラスの破片が刺さった事を朝から黙っていて夕方仕事から帰った母に話すと
血相を変え小さかった私を抱き抱えて
近くの病院に駆け込んだのを覚えてる「なんではよ言わんね」と叱られ
それからが母は大変、足のかかとに注射、、させまいと暴れ、泣き叫ぶ私、母と看護師さんで足だけでも押さえつけて
切っているときはもう麻酔が効いて痛くないのに恐怖と惰性でもがき泣いていたのを今でも覚えている。
包帯の足をこたつに入れ痛くなると「心臓より上にあげると良いぞ」と父に言われてそうしていたのも覚えてる。
私は泣き虫の癖におてんばで良く怪我をしたものだから母も大変だった。

母は母性あふれて女性的だと思っていたけれど男に生まれたかったといっていた、
男兄弟の中たった一人、女だったこともあり相談ができないとか
しかも末っ子だったから心細かったのかなと、酒飲みがうるさく宿題できないと嘆いて
「酒宴の集まりをやめることにしたよ」って母に言われたことにも今更ながら後悔。


また、「忘れられた、、」の巻末の感想にこの須恵村は国民総幸福政策を進めているブータンに似ているのだと
助け合いの、協同この本を書くことにあたって
不思議な巡り会わせが書かれていて。。
核家族化が進んだ現代、引越先でもずいぶん須恵とは違うと動揺もあったのだろう。
本当に良い村だったのだなと、しみじみおもう。
今も須恵の良い部分が残っているらしいのでそこだけは希望がもてる。

日本の村、人類学者その(1)

「忘れられた人類学者」読了、
「須恵村の女たち」この2冊の本の感想は長くなりそうなので何回かにわけて書こうと思う。
また、書き直しも有り得る。

まさかこの本で涙するとは。
これ以降を、私は専門家ではないのでほとんど専門的用語抜きの
読書感想文的な感じで感想を書いていこうと思う。

エンブリー夫妻の執筆による人類学はもしかしたら
アメリカの戦争、戦略に利用された人類学者なのではないかと感想を持った。
なぜなら須恵村訪問の1935年から1年間調査、その後日本はアメリカと対戦、
この日本一、小さな村須恵村を詳細に調べたことが日本人を知る上で
大変役に立ったわけだからだ。
その点は「菊と刀」著者であるルース・ベネディクトの書いた
(須恵村に訪問すらしたことのない偏見に満ちた内容であり(滑稽でさえある)
戦時中のプロパガンダとして悪用)本の内容と相反することからエンブリー夫妻が
書いた「須恵村」がいかに偏見のない愛情と優しさに満ちた著作であったかがわかる。
戦時中を日本同様早送りのビデオ編集で米国人を映し出せば同じく滑稽に見えたに違いない
残虐に邁進するしつつも神をも凌駕したうえに狡猾さが全面に映し出されて。

その後ジョン・エンブリーは42歳という若さでなくなるまで
須恵村の真実を誤解なきようにとアメリカに訴え続けた経緯も。
エラも何度か須恵村を訪れ1986年にも再訪。
父の話によると母も若い頃に会ったことがあるようで、
そういえば昔、写真裏に慣れた字でDear○子と書いた母の写る写真が有ったが
あれこそ夫妻のどちらかに撮ってもらった写真では?と、
父も訝しがっていたが(笑)

この人類学者エンブリー夫妻、ジョンとエラ(エラは日本育ち旧ソ連に生まれ
日本語が堪能、方言である球磨弁もすこしずつ学ぶ(笑)渡米しジョンと出会う)
エンブリー夫妻はクレアという名前の女児も共なって訪問。後、しらみ事件で別々になるが
(エラは須恵村で当時アメリカ人よりも敵がい心を抱くソ連生まれの事実を
村人からの聞き取りを円滑に行うため村民に話してなかった)

なんと夫妻の村の中に溶け込んだものか、まるで潜入リポート隠しマイクを仕掛けたか←もちろんそうではなく親密になることで得られた情報とにかく恥ずかしいくらいに詳細。
村の冠婚葬祭的な行事や寄付などその当時結構な大金を使って取り入るという手練手管も(笑)
最初の感想としてはやり過ぎ感も否めずな印象で多少不服な感じで読み進めていた。

でも、より詳細な調査となれば生の村民の実態を掴むわけなのでそれはお互いに承知の上だったと思う、
そこは良しとして自分を納得させ、なにより夫妻の人柄のよさが村民のプライバシーを解いたのだと思う。
エラ(著書)まとめの「須恵村の女たち」最初はどぎついし、きわどい内容に辟易した(笑)
田舎独特のその当時どこの村も多かれ少なかれ未開の村という時代性から来る下品さも、赤裸々に書かれ。
当然その当時そのような下品に思える踊り等に少なからず白眼視する村民や、教師や知識人達もいたことは断っておかねばなりません。
いや、日本の神話的(宗教的)な踊りは皆多少なりともエロチシズムな表現を伴っておりそれほど奇異では無かったのだろうがなにせ異邦人から見た日本の風習はよりミステリアスに見えたのだろう。
それで思い出すのが十代の時観た映画「インドへの道」
映画の内容をとてつもなく簡単に要約するとこうだ、イギリスから来た女性がインドの石像(全てがエロチック)を観て幻覚、妄想、事件、和解(笑)へと発展する内容(当時私は真剣に観てなくて女性が何に驚愕してるのかわからなかった)
性の捕らえかたが違っていてそのような営みが神秘だとか自然なことから一脱してるから
理解に苦しみ余りに自然なことなのに赤裸々過ぎて圧倒されたのだ。

なので須恵村の踊り等は田舎時代ということにより「下品」なだけで(笑)滑稽さも伴い、
すこしもいやらしいとは思わない、個人的に。
だから今は秘密裏になりすぎて性の問題を避けまくるから性的な行為を曲解するものが多い、
ここでは子供のころから自然と性教育がなされていた格好だ、この部分も大人の偏見で
オープンにしたほうが(現代的にアレンジし直す、、専門家に)あっけらかんとした性への免疫が
できたはずだったのだ。←下品はいけません(笑)
ジョンは後に女性のヒステリーとも言い表していた、
確かに性的弱者に変わり無かったあの頃不満感をヒステリックに発散していたという見解も、わからないではない。

須恵村も同じく(浄土真宗が多数)信仰心篤く宗教的意味合いの祭り等も年中行われ、寄り合い
その際の贈答、冠婚葬祭もしかり(何でも良い、焼酎が主、なにもない場合、マッチとか形だけの紙とか(笑))
とにかく宗教的行事が多くて驚く。

しかも分厚い書物の上、方言が満載で、(私でもわからない)部落の名前に人の名前も続々出てくるので
そこで生まれた(1才まで)私でさえ大混乱、読み辛いの極みだった。
母は須恵村出身だが一時期佐賀に移り住んだ時期があってまあ二ヵ国育ちと言うところか(笑)
なにせ、須恵村が特殊過ぎて驚くのなんの、まるで日本ではないみたいだ(笑)
当のエンブリー夫妻が日本のどの都会より自由奔放と言い表すくらいなのだから。
だから須恵村は平均的な日本を現していない、「菊と刀」は当てにならず、調査地域から見誤っているのだから(笑)
さて、なにから話したら良いものか
村の良いところ、一度心を許せばともかく親切という人々の集まり、寄り合いは日常だし女性同士の会話は明け透けで
しかし、思いやりで陰口をきくに留まるところなど現代と余り変わらない(笑)
金銭的な困りごとが発生すると講(たくさんの名目がある)が行われ個人銀行?的な助け合いがある。
後に、戦後のアメリカ政策GHQのせいで須恵村の良いところがほとんどが消え去る運命に。
お隣りへの引越先でも講ぎんなるものがあったのを思い出す、呼ばれた家に出資金を持ち寄り当番制で頂くという。
これも「賭博扱い」不届き者の発言のせいでずいぶんが消滅。切実な当時の助け合いです!
災害、洪水等で(簡易な)橋が流されれば誰が呼びかけるでなく人が集まり修繕し、
子供が居なくなったときでもしかりリーダーがいてどうこう、ではなく適材適所自然派生的ににことがなされる、協同(はじあい)と呼ばれる助け合いだ。
集まりの締めは必ず酒宴、女性のキセル(今のタバコ)、飲酒、独特な隠微で下品と称される踊り、お喋り
こういう席でその時代、男女が同等に騒げるという風土にまず驚く。
そこには女性の過酷な農作業、重労働、妊婦であろうと重い丸太を担いで橋を何往復もすると言う立ち位置にもあるのだろうが
やはりそこまでの快活さがなければ飲めや歌えの同じ立場での酒宴は実現し得ないのではなかろうか。
そこには当時の封建社会、耐え忍ぶ女の(お産の時は別として)悲惨さがなく明るい。

変な感覚

二十歳過ぎくらいの頃の自分の置かれてる状態を感覚で言い表すならば

崖っぷちに居る感覚、
もはや今まで敷かれてたレール

学校の分と、家庭の分、二本ともいっぺんになくなって
人波に押されて誰も後ろに並んでいない先頭を歩かされてる気分だった。

なんて心細い気分。
もう二十歳を過ぎれば今まで文句垂れつつも
乗るべき、歩くべきレールがあったのに今は、もうなくて
「行こうが行くまいがどうでもいいんだよ」っていう

車掌が
たくさんの乗り物をわきに添えて佇んでいるけど
どうにもそれらに乗れるような身分じゃなくて。
乗りっぱぐれては、、、の繰り返し

どうやらいつの間にか何らかの乗り物には乗れたようなのだけど
今度この年代になってくると

(簡単に乗れるような気がしたのに乗れなかった)竹馬に立たされて
(ついに竹馬か、、自力歩行の)
ヨロ付きながら歩いてる気がする。
深層心理を探ると、竹馬というのは
(年齢を重ねればやはり今まで見えなかったものが見えてくるということで)
一見見晴らしがいいのだけど、見えたら見えたで怖いのかも
足元はふらついて怖々だ。

これから先の老化に対しての心配だろうか
そんな気分になったりしてる。
若い時はまだまだ先だと若さではねのけられたけど
若さがなくなったら何ではねのける?

そういうことに徐々に気が付く。
性差別、年齢差別、美醜差別をして笑う。
まさに非色だ。
犬が卒倒するよ。猫もね、
理想論者のリベラルを気取るのがいるけど
明らかにその種の多いと思うテレビの人間が一番それをする。
皆、そこに向かって歩いているのに。
価値観が変なのだと思う。

最近、ささやかなことに幸福を感じる




親は昔、っていうか最近まで子供だった

「回る~回る~よ時代は回る~喜び悲しみ…」♪
この歌ピッタリ。 子育てソングに

子供時代、親にされて嫌だったこと子供には絶対しない、なるったけしない
強く思ってるから確かにしない、けど今度は
思いもよらなかったことを子供は負担に思いつ育つ。
隔世で繰り返してるのかも、「自分の時の親にはこれが足りてなかった」の欲求不満。

親は最初から親だったわけじゃない。

子供時代そうだったように
親、特に母親は、子にとって絶対の存在。

子供のころ、とにかく母が怖かった。
いろいろ相談しても面倒臭い質問には
「大人になればわかる」で教えてもらえず。

それでも、厳しさが役に立ったこともあった。
人が先生に叱られてるとき、ちゃんとできてるのは母のおかげだったし
(勉強以外だけど) 道を大幅に踏み外さないのも母のおかげ、

でも、今は親がストレス扱いされてしまう時代なのか…かわいそうに

巡る順番。

確かに今でも母にいろんな部分で支配、コントロールされてると思う。
もういないのに
どうしても、かたくななところとか

親にも、子供時代母もいろいろあったんだと思う。
ここは過ぎる、ここは足りてなくて不満、なんてことが。
時代時代で、過ぎる、足りない、が順番に巡っているだけ。
世間へのストレス感が多いほど
順応能力の方が弱ってると自分のケースで考えればよくわかる。
親にも子供時代があって、それはつい最近で。



プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
196()年生まれの
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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