感謝無くなど生きられない


強い意志を持った信念の目つきのにゃさん。
「絶対にご飯が欲しいのにゃ」 「さっき食べたけどにゃ」

川崎市の犯人が殺害した惨劇現場を人々が見て
犯人は犯人の目論みを果たせたわけで「これが俺の怒りの矛先から得た
自分の満足行く結末」、と犯人が犯行前に思ったところで自分を正当化する
もしくは同じ境遇にいるものからの賛同を得る、にしても犠牲になった人に
全身全霊で依存した格好になっている。

日本人は戦後の日本を普段から叩き込まれてばかりいることを
続に言う「自虐史観」それ誰が言うの?教えてるの?
戦後直後なら米だったでしょ、進行形なら中国よ、韓国、北朝鮮。
戦前の日本と、日本人を書いてる文献を海外からの訪日した人々がたくさん残している。

日本の浮世絵が海外にたくさん渡ってしまっている絵のように、
子供でも立ち居振る舞い美しくそのように育てられていた(勿論全てがじゃない)
日本の今はなき原風景や独特の民族文化
始めてみる外国人には独特な文化が確かに滑稽に映るとか、
日本人がいかに親切で愛すべき人々で礼儀正しく美しく、綺麗好き。
陽気で大人であろうとゲーム好き(今も同じ(笑))
(独楽、凧揚げ、羽根付き)空から響き来る羽音になにかしらと驚く外国人。
今の日本の風景とは異なるほどの美しい風景を大事にし
そしてまた人としては他人にどれほど親切だったか、
物作りへの圧倒的緻密さ芸術性
芸術品や風景に魅了され、ここに住みつづけたいと思わせるほどの賛美
動物(馬)牛を食さないなぜなら「家族」だから、ここでも
「忘れられた人類学者」の内容と合致する。
大袈裟なくらいの賛美、日本人の私でもその時代に
タイムスリップしたくなるほどの賛美。
日本に訪れたことのある様々な著名な外国人の文献が多く残っている。

「逝きし世の面影」 この本って今からざっと150年くらい前徳川(期)後半とある。
世界各国、欧米等参考文献 後書きにずらっとあるのだけれど
一体著者はどれだけ日本について書かれた本を(英文)読んでいるのかと、唖然とする上に
日本について述べられた文言をさらに時系列に取り扱い
やれチェンバレンのオール・コックの、
エドウィン・アーノルド(日本を美の国妖精の国と賛美した)のと、列挙するには多過ぎる人々
発言はそのご時世なら多分に
正しいとか大袈裟だとか偏見からのとかその地域性とか分析がすごい。
だから今となっては日本の外国人から見て不可思議な所も隠さず書かれている。
自分の周りに何十冊と本を取り巻かせつ、紐解きつつ
大連生まれではあるものの暮らした日本であるから客観性は大事で、すり合わせしつつ書かれた本。
難しい漢字も読み取りも少々難儀したが私以外の読書家なら面白く読めるでしょう。
挿絵も美しい、「当時の原風景、これなんですね!って感じ」
宗教論、日本人のユーモア、
著者渡辺京二
著者は元々日本生まれではなく大連の生まれであると後書きに有った
日本の湿っぽい気候等に
些か嫌な感想も有ったのだそう、著者も参照されたたくさんの訪日外国人と同じ異邦人
としての目で書かれているとある、参照された訪日外国人と著者との二重奏みたいな
絡みのというと変だけれど分析結果、読物として調和して読める。
全く日本について知らない訪日外国人の日本についての感想と
冷静な客観視された著者の分析的読物として他者の目になって読むのも面白いと思った。
ただのど素人の読書感想文ですが。

ここから
上記の文と関連は無く、一番最初の文の続き、前後しましたが
日本人は敗戦後急に
冷酷無比の人々に成り下がったわけではないし、戦中戦後の日本人の慈悲心から来る
涙あふれるような、敵味方構わず手を指し述べて助けた話などもごまんとある。
映像でも残っているし。
中、韓、北朝鮮等の多国籍軍マスコミの作った、日本をどう陥れようかとか
どうむしり取るか、大目に見ていれば容赦がない。
躍起になってる史実に基づかない番組やNHK朝ドラ等に洗脳され
金輪際日本人の古き良き時代などなかったと印象付けたいだけの
日本に対して感謝のない国の、中国、韓国、北朝鮮の(本来なら平伏すべき人々)
口車に乗って腐り切って弱り切ってしまっている。
今後日本の印象の直しから子供達の育成のやり直しやら
大事な時期の日本と思う。
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調べてみて驚く菊と刀

前回の「菊と刀」記事をあげないと繋がらないので一部書き直しての。

「菊と刀」ルース・ベネディクト
英語のニュアンスなんて知らないからこの本の著者が
女性だなど全く思いもせず

調べてみて驚いた。
「菊と刀」よりこの方の人物像のほうに関心が行く、
また「菊と刀」も"訳者後書き"までちゃんと読んで書くべきで。

この書物全てが間違ってるわけではないのだろうし
確かにそんな傾向はあるという日本人の身につまされるような
性(さが)のようなものも書かれてはいるのだから。
ただアメリカにいながら何の文献?
もしやその時代の作り話、大衆紙的内容まで折り込んでいないか
確かに分析は緻密で女性特有の「思い込み」も?男女兼用か
読み手の私も同じように早合点した部分もあったりしたが。

ギリギリで自分でも検証出来そうな
「早々に卒業させるというおむつトレーニング」の話はどうにも信じがたい。
湿ると重くなる布おむつは早く不快感を感じるし、洗って再使用出来て経済的。
早くおむつ卒業をさせる日本?
言っても私なんて小学校低学年でもたまーに失態し
夜間親に気付かれないように箪笥をしずかーに開け閉め(笑)
だって、夢にトイレがでてくるんですもん、私は悪くない、、と思う。
たとえ親に見つかったとしてもそんなにひどく怒られたこともなく
普通に怒られてた(笑)

授乳の期間にもかかわらず
赤ん坊に母乳を与えない時期が有るとの記述。
搾乳器も無い時代、にわかには信じがたい。

(私の)母のように(乳嫌い?当事者の私にも解らない)
そういえば私の下の娘も舌少帯が短いか何かで母乳が飲めず四苦八苦した。
別に今は何の支障もない、ストローも吸えるし(笑)
今は搾乳出来るからまだ良い。
飲まない赤ん坊の母は乳腺炎にかかって切開という
痛い思いが待っているだけだから授乳期間のコントロールなどするはずが無い。

運動会でみんなが一等賞とかも、見方によってはほほえましい。

やはり日本の当時の文明の遅れは情報の遅れなだけで
一度情報に触れ有無を見極めれば素直に受け入れて行くというもので
これが素直な日本人独特な順応性というもの。
というのは今の時代の国際色豊かな時代に隣国韓国、中国、北を見てれば歴然
憎っくき日本のために「わからず屋」を平気でやってることからも解ること。
なんて日本とは対照的な国々!!


決して日本人が理解不能な不可解な民族では無いことを
生きておられるうちに知ってほしかった。
ただこのルース・ベネディクトというかた詩人でもありアメリカでも
当時は異端?扱いのフェミニストという。

終戦後の日本に対しても関心を寄せ
血も涙も無い偏見の体制側マジョリティーではなく、
むしろものごとのわかる共感性の高い人でもあったのだろうと。
この著者の人となりなどを垣間見た気がして、改めて感想を書き直さねばと思った。

最後まで読んで「須恵村の女達」、「忘れられた人類学者」、
が引用された部分もさほど無かった。
日本人に対し面白い見解だなと(笑)

同じ女性の問題を取り扱っていてなおさらこの方がもう少し
日本のことを正しく知ろうとしてくれていれば
今の日本の女性の立場を改善できてさらに
強い味方になっていたかも知れず。
優しいエンブリー夫妻、二人のように。   

個人的に再認識した。

菊と刀

次回への記事、話が繋がらないので再度アップします。


ルース・ベネディクト著書
日本人を観察し、奇妙に思い、、思い込み人類学者のような。

以下、読むごとに書き足す。
実際、誤認が多くて読む気にもならないが、
日本に対しての偏見、米国にたまに存在するような。

戦時中の日本人や軍人達のお互いの行動監視「戦争一辺倒」に統一され
言論統制されて服装や生活の変化も見逃さない取締り
民間人も兵役達でも日本政府に対し危険な発言を全く許さなかった時代、
日本人の取ってきた行動になんの心理的不思議さがあるか?
正義など振りかざしたところで情報すら不確かで不確実な戦時中、
共産主義を叫んで獄中生活をわざわざ自ら選ぶ?(選ぶ人もいたけど)、
そこは情動性の人科に属す人間の為せる技。
誰も正しいお裁きができない時代には遠慮しておくのが常人で、
想像力が欠如している。
結局当時の憧れ共産主義も今になって思えば
見果てぬ夢。撃沈の。

まず日本をこういう国だと定義することが間違っている、
時代性から、将軍が変われば、首相が変われば、法律が変わり政治が変わる。
その中に国民、日本人は生きていていつも思いは二分しているのだと言うこと
それは納得の上追随してるのか、反発心を抱きつつの服従なのか、で
いつものほほんとなにも思わず隊列を組んでいるのが日本人なわけではない。

著者は日本を奇妙と思いつつ書いているのと自分の知り得たありったけの
知識を披露して

自治体の違いにしても組織の細かい違いが地域で違っているのに
まるでアリン子の隊列でも「さもありなん」と確信して観察したかのような書き方に
もう真面目に読むのさえ馬鹿らしくなって来る。

でも、日本人の恩義に関する章は日本人をよく理解していると思った。

ただ忠犬ハチ公(日本の象徴のように語られる)を引き合いに書かれた内容は
変だと思った、ハチは別に日本人ではない、日本語を理解する犬なだけだ。
日本に住み育った恩恵、土地柄を有した犬ではあろうが。
忠犬ハチが日本人の恩義を如実に示しているように描写されているが
「難儀な性(さが)」のように(笑)
ハチは死ぬまでの数年間も飼い主への恩義を忘れなかった。
これは日本人の恩義どころの話ではなくて
犬の方がよほど人間らより恩義を大事にするという証明、犬の特性であり
日本人、人、の話ではない。
 
夏目漱石の坊ちゃんでの金の貸し借りのくだり、
米国なら心療内科行きの勢いだ、みたいな。
確かに坊ちゃん自身であるような夏目漱石は繊細且つ非凡な才能の持ち主で
神経衰弱的内容の描写もありで、
でも、ああいった坊ちゃんの考え方は自分も共感するし(笑)
的確な読み取りだなと思った。
ただ恩義は断じて義務ではなく、個人差だと思う。
意外や何処の国よりも柔らかい頭だった日本人は教科書通りになんて生きていない。

日本人の義理に関する項目に来たらまた、恩義と同じで
日本人の義理の返済義務ときた。

本当に大きな商業王国(米国)は政治的文言でもいつも損得勘定で終始すると
こちら側「日本人」からの観察結果。
この辺でおいとまして
須恵のくだりの誤解が出てきたら、
また書こうかと。



~しばし時間経過~

第八章、汚名をすすぐ、まず意味が解らなかった、でも確かに日本人は
人前で恥をかかされれば少なからず相手を恨んだりはする、
でも個人的にいえばお節介な部分も有ったりするような、少なくとも自分は。
そういう発言、行為、大人としてどうよ? みたいな
あえて目上であろうと抗議してみる(してみたい)。
お節介とでも言うべきか、心理の果ての行動が全部同じと決めつけないで頂きたい。
そして敗戦後の倦怠感、確かに未だに←強調したい)
日本が引きずっている感じは否めないが
アメリカだって
最近の戦争、兵役に服した後の倦怠感すごかったはずで、病んでいった人多数。
これが、進化した人間の普通の感覚と思う。
戦いの歴史が浅いからアメリカは。

第九章人情のサークル、
日本は欲望は悪徳として烙印?今は悪い意味で真逆じゃない?
どんなところでも寝られる日本人?
もう極致まで来たときなんでしょう、どこででも眠れるのは、
狭い空間にひしめく日本人、身体的にも極限なんだろうと思う。
逆に寝込みを襲われない(人目を憚る場所限定)安全な国なのだろうとも思う。

日本の村、人類学者その(2)




2019040309200379e.jpg

「忘れられた人類学者」本の表紙はエンブリー夫妻。
妻エラの写真は私の父の実家の兄嫁に似ている、以前書いた、声がとても優しく上品な叔母
目の辺りがもっと優しければ笑い方もそっくりだと思った。
面影を思い出すには充分な表紙、思わぬところで得をした気分。





今、ほぼ最終ページそろそろ終わりと言うところ。
この本で母の謎も解けるというもの(笑)
母が何故あんなに正義感が強く(笑)人の面倒見が良いのか
子供が大好きだった、欲しかったのは多分だけど男の子。
聞かなかった(言わなかった)けれど、これは(父も)普通どこもそうだけど
その当時としては当たり前のように自立してキャリアウーマンのようだったのはなぜか
明るく親切で、困った人を助けようとするのか
何故、動物に優しいのかとか、虫の命まで大切にするのか
毎日とは言わないが酒宴を開くのが良く続くなと言うほど多かったのはなぜか
宗教的な行事をおろそかにしないとか


まだまだたくさんあるが、これが須恵村からくる村人の
人柄に寄るものだとこの本を読んで
確信した。
馬が死んだら人が死んだ時のように深く落胆し。と様子が書かれていたり
「稲作の間に殺された虫の霊のために」供養する「植付けご供養」
~田植えと虫の命の供養と仏教、
ただの稲作儀礼や民間信仰だけではない神仏習合とも異なる不思議な信仰心、
自然観がある、、(本書抜粋)とあるように
ともかく年中なんらかの宗教的行事、祭りが多い、単なるお仕着せの
信仰行事というよりは日常普通に身についた
一連の動作のように心から当前のように行われていたような感じがする。
何処か、私的にインド的(常に神仏と共にある)な
思考が出来上がってるように読んで感じた。

ここは昔は女性が(離婚を言い出す)三行半を突きつけてたみたいです、
離婚が自由(笑)
ああ、この村が肯定的に参考にされ、
戦後GHQの頃、エンブリー夫妻の人類学を第一に聞いてもらえて、、
女性も自立が当たり前になるよう国に強く進言して政策が進められていたなら女性は
今よりも強く明るく自由に生きていかれたかもしれず、
もちろん嫁姑関係で嫁に行った先からの不都合で
の離縁というのも有ったのだけれど。
エラが書いた「須恵村の女たち」は
女性が過酷な中でもいかに立派だったかも書かれている
労働にしても、村にとっての働きにしても、
よっぽど男性より気が利いていたと。
男性は軍人が威張ってる、場の空気が読めてない発言(笑)等、
遊郭遊び、挙げ句病気をうつし、
子供を借金の、、、
朝鮮人の素行、印象の悪さ。
ひそかに行われるお産、
声を出さない?法整備がなされてないから仕方がない自衛策だろうけれど。
(座産とか)
田舎の悲しい部分とかももちろんあるのだけれど、
この村独特の助け合いやシステム
女性のたくましさなどまだまだ書ききれていないが、
お隣りの上村や旧免田町とも違った独特さが有ったらしい。



母は畑の中にいくつか建てられた中の祖母のお墓参りをすると口癖のように
「私の墓前には造花を供えんでね」とか言っていたっけ、悲しく思う。
こんなに早くそんな日々が来るなんて思いもせず、
造花など飾りませんが、なかなか行けず。

足にガラスの破片が刺さった事を朝から黙っていて夕方仕事から帰った母に話すと
血相を変えて小さかった私を抱き抱え
近くの病院に駆け込んだのを覚えてる「なんではよ言わんね!」と、叱られ
それからが母は大変、足のかかとに注射、、
させまいと暴れ、泣き叫ぶ私、母と看護師さんで足だけでも押さえつけ
切っているときはもう麻酔が効いて痛くないのに
恐怖とそれまでの惰性でもがき泣いていたのを今でも覚えている。
包帯の足をこたつに入れ痛くなると
「心臓より上にあげると良いぞ」と父に言われてそうしていたのも覚えてる。
私は泣き虫の癖におてんばで良く怪我をしたものだから母も大変だった。

母は母性あふれて女性的だと思っていたけれど
男の方がよかったといっていた、
男兄弟の中たった一人、女だったこともあり相談ができないとか
しかも末っ子だったから心細かったのかなと、
酒飲みがうるさく宿題できないと嘆いて
「酒宴の集まりをやめることにしたよ」って母に言われたことにも今更ながら後悔。


また、「忘れられた、、」の巻末の感想にこの須恵村は
「国民総幸福政策」を進めている「ブータン」に似ているのだと
助け合いの、協同「忘れられた人類学者、、」を書くことにあたって
不思議な巡り会わせが書かれていて。。
核家族化が進んだ現代、
引越先でもずいぶん須恵とは違うと動揺もあったのだろう。
本当に良い村だったのだなと、しみじみおもう。
今も須恵の良い部分が残っているらしいのでそこだけは希望がもてる。

日本の村、人類学者その(1)

「忘れられた人類学者」読了、
「須恵村の女たち」この2冊の本の感想は長くなりそうなので何回かにわけて書こうと思う。
また、書き直しも有り。

まさかこの本で涙するとは。
これ以降を、私は専門的知識に明るくはないのでほとんど専門的用語抜きの
読書感想文的な軽い感じで感想を書いていこうと思う。

エンブリー夫妻の執筆による人類学はもしかして
アメリカの戦争、戦略に利用された人類学者なのではないかと感想を持った。
なぜなら須恵村訪問の1935年から1年間調査、その後日本はアメリカと対戦、
この日本一、小さな村、須恵村を詳細に調べたことが日本人を知る上で
とても役に立ったわけだから。
その点は「菊と刀」著者であるルース・ベネディクトの書いた
(日本に訪問すらしたことのない内容のため偏見も多々
戦時中のプロパガンダとして使用)本の内容と相反することからエンブリー夫妻が
書いた「須恵村」がいかに偏見のない愛情と優しさに満ちた著作であったかが伺える。

その後ジョン・エンブリーは42歳という若さで交通事故で亡くなるまで
須恵村の真実を誤解なきようにとアメリカの政府に訴えた経緯も。
エラも何度か須恵村を訪れ1986年にも再訪。
父の話によると母も若い頃に会ったことがあるようで、
そういえば昔、写真裏に慣れた字でDear○子と書いた母の写る写真が有ったが
あれこそ夫妻のどちらかに撮ってもらった写真では?と、今になって思う。
父も訝しがっていたが(笑)

人類学者エンブリー夫妻、ジョンとエラ(エラは日本育ち)は旧ソ連に生まれ
日本語が堪能、方言である球磨弁も少しずつ学ぶ(笑)渡米しジョンと出会う。
エンブリー夫妻はクレアという名前の女児も共なって訪問。
後、しらみ事件(笑)で別々になるが、、後に後悔していた。
(エラは須恵村で当時アメリカ人よりも敵がい心を抱くソ連生まれの事実を
村人からの聞き取りを円滑に行うため村民に話してなかった)

なんと夫妻の村の中に溶け込んだものか、
まるで潜入リポート隠しマイクを仕掛けたか←もちろんそうではなく
親密になることで得られた情報、とにかく恥ずかしいくらいに詳細な情報。
村の冠婚葬祭的な行事や寄付などその当時結構な大金を使って
取り入るという手練手管も(笑)
私の最初の感想としては、やり過ぎ感も否めずな印象で多少不服な感じで読み進めていた。

でも、より詳細な調査となれば生の村民の実態を掴むわけなので
それはお互いに承知の上だったと思う。
そこは良しとして自分を納得させ(笑)
なにより夫妻の人柄のよさが村民のプライバシーを解いたのだと思う。
エラ(著書)まとめの「須恵村の女たち」最初はどぎついし、きわどい内容にも辟易した(笑)
田舎独特のその当時どこの村も多かれ少なかれ
未開の村という時代性から来る下品さも、赤裸々に書かれ。
当然その当時そのような下品に思える踊り等に少なからず白眼視する村民や、
教師や知識人達も「ちゃんと存在」居たことは断っておかねばなりません。

いや、日本の神話的(宗教的)な踊りは皆多少なりとも
エロチシズムな表現を伴っておりそれほど奇異では無かったのだろうが
なにせ異邦人から見た日本の風習はよりミステリアスに見えたのだろうと思う。

それで思い出すのが十代の時観た映画「インドへの道」
映画の内容をとてつもなく簡単に要約するとこうだ、
イギリスから来た女性がインドの石像(全てがエロチック)を観て
幻覚→妄想→事件→和解(笑)へと発展する内容
(当時私は女性が何に驚愕してるのかわからなかった)
性の捕らえかたが違っていてそのような営みが
普段、性が神秘だとか自然なことと感じることから一脱していて
次々に現れるあからさまな石像の群れに圧倒され、
余りに赤裸々過ぎてショックを受けたのだろうか。
きっとカルチャーショックを受けたのだなという(笑)


なので(笑)須恵村の踊り等は
日本の途上時代ということもあって「カルチャーショック」で
「下品」なだけに滑稽さも伴い、
すこしもいやらしいとは思わない、個人的に。
だから今は秘密裏になりすぎて性の問題を避けまくるから
性的な行為を曲解するものが多い、
ここでは子供のころから自然と性教育がなされていた格好。
この部分も大人の偏見で
オープンにしたほうが(現代的にアレンジし直す、、専門的に)
あっけらかんとした性への免疫が
できたはずだったのだ。←下品はいけません(笑)
ジョンは後に女性のヒステリーとも言い表していた、
確かに性的弱者に変わり無かったあの頃
不満感をヒステリックに発散していたという見方も、わからないではない。

須恵村も同じく(浄土真宗が多数)信仰心篤く
宗教的意味合いの祭り等も年中行われ、寄り合い
その際の贈答、冠婚葬祭もしかり
(何でも良い、焼酎でも、なにもない場合、マッチとか形だけの紙とか(笑))
とにかく宗教的行事が多くて驚く。

しかも分厚い書物の上、方言が満載で、(私でもわからない)
部落の名前に人の名前も続々出てくるので(覚えなくてはいけないのかと)
そこで生まれた(1才まで)私でさえ大混乱、読み辛いの極みだった。
母は須恵村出身だが一時期佐賀に移り住んだ時期があって
まあ二ヵ国育ちと言うところか(笑)
なにせ、須恵村が特殊過ぎて驚くのなんの、まるで日本ではないみたいだから(笑)
当のエンブリー夫妻が日本のどの都会より自由奔放と言い表すくらいの。
だから須恵村は平均的な日本を現していない。

さて、なにから話したら良いものか
村の良いところ、一度心を許せばともかく親切という人々の集まり、
「寄り合い」は日常だし女性同士の会話は明け透けで
しかし、思いやりで陰口をきくに留まるところなど現代と余り変わらない。

金銭的な困りごとが発生すると「講」(たくさんの名目がある)が行われ
個人銀行?的な助け合いがある。
後に、戦後のアメリカによるGHQ制裁で
須恵村の良いところがほとんどが消え去る運命に。
お隣りへの引越先でも講ぎんなるものがあったのを思い出す。
呼ばれた家に出資金を持ち寄り当番制でもらうという。
これも「賭博扱い」でずいぶんが消滅。
切実な当時の助け合いだったのに。
災害、洪水等で(簡易な)橋が流されれば誰が呼びかけるでなく人が集まり修繕し、
子供が居なくなったときでも同じでリーダーがいてどうこう、
ではなく適材適所自然派生的にことがなされる、自主的なところが現代と違う点。
協同(はじあい)と呼ばれる助け合い、今で言う隣保組、自治会。
集まりの締めは必ず酒宴、女性のキセル(今のタバコ)、
飲酒、独特な隠微で下品と称される踊り(笑)、お喋り
こういう席でその時代、男女が同等に騒げるという風土にまず驚く。
そこには女性の過酷な農作業、重労働、妊婦であろうと
重い丸太を担いで橋を何往復もすると言う
男女差のない労働条件をこなすがため男に有無を言わさぬということもあるのだろうが
重労働の妊娠期間や胎児の育成、母体の健康状態にはかなりの負担が有っても
時代性もあり普通に行われていたよう。
やはりそこまでの闊達さがなければ飲めや歌えの同じ立場での酒宴は実現し得なかったような。
そこには当時の、勝ち取った立場、
封建社会の耐え忍ぶ女の(お産の時は別として)悲惨さがなく明るい。
プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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