無骨な手でも優しくあればなんぼかまし

私は小さい頃から手が老けていた、この手は父親譲りだ、
似なくていいところが似てしまった。

下の娘が(誤解なきようが「特に」としておこう、)主人譲りの綺麗な手をしていて
「手タレして良いんじゃない」と周囲に言われるくらい動きも形も綺麗だった。
そこは良かったのだけれど
男で綺麗な手?手のひらなんて必要な最低限のシワしかないし
これはこれでどうなのよ、私は手のひらだってシワが多い(ふん!自慢だ)
私と正反対、こんなにシワが多いと
神秘十字線とか、網焼き線とかラッキーMやらいろんな線が結構有るんだから

でも本当にしわしわだなあ
そう思いつつも、愛おしい。老けて見える手を気にする人が多い。
でも、その手は当たり前だが、自分の手らしい動きをすると思うし
脳と直結してるから他人の手でも姿形よりも動きの方が見ていたいと思うポイント。
賢さも出るし、認知症テストなどは手先の動きの出題があるくらいだし。

薄い皮膚はどうしようもない生まれつき、でも嫌いじゃない、自分の手。
いつも自分を守ってくれてるし、人を支えてもあげられる(あまりしてないけど)
「手なき人だって(今は亡き私の尊敬する人の言葉)あなたより(心で)手を合わせるよ」
と言われたりもした。
それを心に留めているのだけれど、
ジェスチャーや動きの少ない日本人、思いを伝える手をもっと使うべきと思う。


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セーラー服は骨格を選ぶスタイル

小さい頃のトラウマ
あれは忘れられない思い出、
廊下の延長線奥に控えてる母の嫁入り道具の「鏡台」にまつわるお話。
スカート履いてワンストロークするにはもってこいの位置。

そこで恐る恐る履いて見たのはお初のセーラー服。
私的にもこのタイプのスカートは、なで肩タイプにちょうどよく似合いそうで
いかり肩ではないけれど肩パットなしでちょうど良い私には似合わないの極致だ、
と思いつつ見ていたのに後ろからの追い打ち

「○(←名前)はスカート似合わんねー」誰あろう母である。
いや、このセーラータイプが似合わないだけで普通のスカートは大丈夫なはず
心ではそう思っていたのに、まるでスカート全般が似合わないみたいな、
断然としたそしてとても残念そうな口調が何をか言わんやだ。



確かに毛量多く癖っ毛の私はショートヘアが定番スタイルでそれもセーラーには少し
バランスが合わない。

果たして翌日のセーラー服初日の日、下駄箱で
最近聞いたばかりの空耳アワー
「○(←苗字の呼び捨て)はスカート似合わんねー」バカ男子である、嘲笑の響き有る。
スカート嫌いにするのは誰あろう本人では無い、外野です。
一人は哀れみ、一人は嘲り。
思ったことを正直に言う必要ある?
一番気がついてる(そして傷ついてる)のは本人ですがな。
後三年もあるんだから。

司会がひどい

今の司会者は腕がないのでしょうか
ゲストに笑いや落ちを求める

昔の格上は殆どの芸能人がおしゃべりが下手な人が多く
歌手、俳優はアクターなのだから面白い話をする必要がなかった
今は、ネタ持って出演しないと司会者がぶーたれる、
何せ司会が◯◯下手だからだ。
昔は、うまい司会者がいて気取った「スター」と言われた人たちから
ユーモアみたいなものを引き出した、なにせその時見せるギャップが良かった
笑かそうと構えた人の笑いくらい面白くないものはない
それより自然に出た演出なしの笑えることを芸能人が言ったりしたりした時
ほんとうにおかしかったりする

今の司会者はお笑いをベルトコンベアーにポンポン、
殆どが同じ形で聞いたことが何度もあるような笑いの十円まんじゅうみたい、
十円まんじゅうの方がずっとうまいけれど。

図太い性格と繊細さはどう折り合いをつければ良いのか

子供時分の回想


「お母さんがいないよう」
「怖いよー」一人で留守番
お姉ちゃんの帰りが遅い、テレビでは交通事故の番組
今日はなんだか心細さが半端ではなく
涙が溢れてきた
暗い部屋、灯りをつけても自分のその存在がはっきりするようで逆に怖い
電気をつけて、辺りを見回して、カレンダーと目が合う、その有名な絵画

これを一体何日繰り返してきたことか
小学生の身では永遠に続きそうに思えて
思えば保育園も母が最後に迎えにきていた
5時過ぎだけれど、残業で遅いのか構造改善とか言う事務所の事務員

あの頃の言うなれば共稼ぎの鍵っ子
学童保育なんてなかったから「一人」を不本意ながらも満喫
環境に慣れるようにいつしか一人に慣れてしまう部分もあって
友達が煩わしいと思ったこともあった。

自分のような育ち方、大人になったらトラウマも抱えるし
本人にとっても良くないと、
子育てに関して相当に配慮したつもりだったのに

だけれど子供は私の育つ過程を経験してはいないので
想像の域を出ない。
今度は知りもしない別の子育て弊害に頭を悩ます。
少し、甘やかしたりしてるのが今の親の大半だろう
自分の時の反動で、
「それが当たり前」で育つ、言い継がれてきた言葉と思う。
結婚とは元他人との婚姻でもあるわけで私と性格が正反対とするなら
感じ方から何から何まで未知の世界

どこで傷つくのか、はたまた感謝と理解するのか
許容範囲のようなものが子育てには重要になってくる
こちらと同じように感受性を共有出来なければ
してあげたつもりのことをも当たり前で育ってしまう。
必死で教え込んだつもりでも、周囲に溶け込んで同じ
「お母さんはひどい」とよっぽどひどいセリフを吐くのでしょう。
私もそうだったように。

子育てしてみて初めて気がつく、同じ経験をして初めて気がつくから
人は子育ての期間が長いことからも
育てる方も育つ方も動物でさえ持つ自然に備わったはずの
恩義のような感情がわからなくなるのだと思う。

笑いのツボが世間と合わなくなってきた

昨日のM1グランプリ
つかみはOK
仕上げは御覧じろって感じ。
結果に全然納得できなかった、いいかなと思ってた人たちは全部落ちてった。
最終決戦の三人の中でも銀シャリが一番ましと思ってたけど
これもダメで。

ブラックながらも最初は笑えていたし、いいかなと思ってたのに
ジャルジャルさんが出てきたあたりで
出来レース?
ひな壇で輝いてたっけ?

漫才ってただの登竜門、後はバラエティのひな壇に座って
気の利いたことしゃべってその位置を繋ぐ、
統率力があれば冠番組のMCに大抜擢か。

漫才なんて番組自体少ないから聞かないし。
そう考えると今回のM1グランプリ
過去の王者が審査員、
お笑い界は縦社会、そりゃ同じひな壇で仕事したこともある手前
新客のコンビにいい点が行くとは思われなかった。

ひな壇で違う意味で輝く人が今回の王者
ジャルジャルさんもそうだけど内容が入ってこないタイプ。


仕事合間に見る
年末のダウンタウンの恒例番組も中だるみは否めず
紅白もちょこちょこ見。



プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
196()年生まれの
9月後半
ちゃくもくろん改め
ちゃころもころ語始めました






人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ
ちわわという種の
いぬ




まざーぐーす
だんだんばかに
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