作文の思い出



私が子供のころも低学年辺り自分は虚弱体質かと
環境の激変(遊びからお勉強)から感じたものだった。

それとは関係ないけれど思い出したことが。
先生にテーマを出されると案外書けた作文、小学3年生くらい❓
「家族旅行」みたいな題材で作文を書いた。
父と母が旅行に使う交通手段で揉めている時の
夫婦喧嘩の詳細、一部始終を、台詞抜粋で(笑)
ひどい内容じゃない、親が言ったことの口真似応酬を二三。
教室に笑いが起こる
作文の文章の最後の締め「家庭が暗い」みたいな結句(笑)

これを先生←(唯一話のわかる親身な先生)ったら家庭訪問の時に暴露
母赤面。後に先生の見事なアシストだったと知る。
母はそれ以来私の前で夫婦喧嘩をしなくなったから(笑)

子供のころ聞いた昔話

もうすぐ借りた本の返却日なので慌てて読んでいる。
柳田国男原作遠野物語、それと一冊ではあんまりなので
長島有のパラレルも。
遠野物語がどこに有るのか尋ねたら文語体で書かれているのか
どうもお勧めしないと言われ
全訳されてる遠野物語。
確かに最初に見せてもらったものはカタカナ混じりで読みにくそう。
カタカナが入ると音読したとき日本人でも
途端に変に訛のある外人さんの英語口調のになるから面白い。

民族学者として我が熊本県の生まれ故郷を
(わたしも1歳までと、戸籍に有った)
研究対象地としてアメリカの民族研究家に
推薦したという経緯が有ったので、なぜなのか
解るかも知れないと思ったもので。

遠野物語の内容は岩手県の民族とか民話集、
神様とか妖怪みたいな不思議話が多い。
NHKのチャロで英語番組妖怪退治の祈祷ものとかと同じかな。。
それでまた沼田まほかるの「アミダサマ」思い出すのだけれど
繋がることが。
チャロで検索したら東北編として妖怪話が出た
パラレルワールドって書いてあってまた
偶然。

そういう話は子供時分怖いもの見たさの心理で
聞きたいような聞きたくないような
で、結局聞くのだけれど(笑)怖さが手伝うから
使い用によっては良い子育て本。

こういう話はほぼ隣町横に引っ越した
私の地元の子供会でも夏休みとかに
故郷民話として良く読み聞かせられたものだった。
おもしろかったのに全く覚えていない(笑)

それよりも父が夏の暑いとき等にする妖怪の「やまんば」の話やら
かわいそうな動物の
今となっては「椋鳩十か!」って
(ネット記事に「考える現在未来」椋鳩十インタビュー)でていた。
ツッコミたくなるようなお話をしていたのを思い出した。
これは良く内容を覚えている。
やまんばが背後から今にも襲い来る緊迫感やらを父はソラで話すのだから
今思えば母の周囲に言う「(父が)子煩悩」は当たっていたのかもしれない。
わたしはその当時「子煩悩」を辞書で調べて
母に異議を唱えたい思いだったが(笑)
姉との格差がすごかったから。、田舎の長男長女最優先主義。
でも、時に足かせと感じた真面目さを教え込んでくれた両親に感謝している。

2話を書き残そうかと思う、原作者がいるのでしょうが、覚えておきたいし。

今にして思うこと



もうやがて90になる父、心臓バイパス手術のあとはさすがに、
すごい老けたなあと思ったけれど
送り返した母のアルバム「受けとったよ」と話す父は
私と居るときはいつもどこか上の空で寡黙な感じだった昔とは随分違っている。
今は電話でも、帰省したときも良く喋る。

全くボケた感じもなく(笑)免許証を返納しようかと思ってるとか。
判断が適切だ、でも、田舎は車がないと大変だから、と困っていた。
姉がいるから大丈夫だろうとは思う。
「迎えに行く」という言葉も無視して
これが最後とばかり高速道路使って新築を見に来てくれた。
2階もにようやっとで階段登ってその付近の風景を観て。
県庁転勤で住んだ事のある健軍方面市内見物、車で連れていくと懐かしがっていた。

その後、電話で近況報告、少しの母との記憶回顧、
もう尋ねる機会もそう残っていまい、いつも遠慮して尋ね損ねていた。
少し太っているくらいで若いと思う父。
優しい父親というのだけは間違いなかったが、酒もタバコも凄かった。
お酒に強かった、さすがに晩年はドクターストップ。
だから酒も(好きだけど弱いすぐに真っ赤)タバコもしない(やめた)主人を選んだのかも、
父は一緒に飲むのが夢だと言ってたが(笑)

日曜大工で(あうんの呼吸)を身につけた、釣りのお供、
水溜まりで溺れる等(笑)3回程。姉大笑い。なんでこんな浅いところでと、

私にはどこか(古い人間の持つしきたりや習わしからの姉妹差別)
距離が有って冷たいイメージがあったものだったが、
今は違う、
自分も人並みに一通りの挨拶は(気遣い)はできるように
なったようで。


また、市教委の不祥事
父親から虐待を受けていた子供の必死の助け舟になる為の、
秘密裏の(子供からの)手紙がこともあろうか父親に公開された。
その道の職員なら百人中百人が絶対にしてはいけない手紙の開示。
父親が読んだならば不愉快さからの怒り、
余計に子供に辛く当たるに決まっている。

職員は稀に見る不可解な言動で迫り来る面倒な父親に辟易し、
早く職務遂行し、お役ゴメンを図ったか。
市教委以前の問題、生徒の立場に立った考え方ができないとか?
父親と対処にあたった市教委は本当に資格が有るのか?
今回の件で逆上した父親によって死に至るまでになったのは明白で、
暴力が倍増したのだろうし、市教委がどれだけ
少女に手をかけることなく暴力に荷担したかわかっているのだろうか。



歌わないかと心配そうな顔。
キリンジの歌を歌うと側に飛んできてすごいスリスリ、
ぺろぺろ肌に毛繕いは痛い、何でだろう、もう笑って歌えない。
SIRUPのループって曲も好き、ホンダのCM曲もノリが良くて良い。

アルバム捜索



今回も実家でいろいろとあった、事象に意味があるのなら
昔からの癖のように今起こった事象を黙って観察し考察し
何を教えようとしているのか読み取って行きたい。
尊敬する今は亡き支部長の教え
高僧のような哲学者のような樹木希林さんの書、
心の中で同胞と思う人たちや、
または逆に試練のように
突っ掛かって来る、出来事や人たちすべての事象に意味がある

喜怒哀楽の極まった肝腎な時には必ずミャーと鳴いて
「はっ」とさせるがたいていが、餌欲しさで(笑)
タイミングが猫と被るなんて。

昨日実家に帰って母親のアルバムを探したら
あまりにぞんざいな扱われようで、
なかなか見つからない
姉はそんなものの存在すら知らないと言い
父までが家を改築したとき
どこいったかわからんようになってるとか簡単に言う
ついに管理場所に住まう姉と父に
激怒、
泣いて抗議した。
母が父や姉のためにどれだけの世話を焼いてきたかを忘れたのかと。

姉など母には心配のかけ通しであったにもかかわらず、
いろいろと忘れてしまっていて、話が噛み合わない。
父は姉を目に入れても痛くないほどに可愛がり甘やかし
長男がよく陥りがちに君臨させてしまった姉。
姉もかわいそうではあるが。
どこの父親も往々にして子育てを失敗させる方に加勢する。
子育てには緊張感や晴れがましさ畏怖のようなものがないとだめと思う。
人の人生がかかっているのだから。

それでも何とか一冊のアルバムを探し出して持ち帰ることができた。
姉の「早く返してよ」のことばでまた言い争いになりかける、
アルバムはなくなったも同然のそれ以前に
無いと言っていてひどい扱われようだった。
「無いと思っとった、有ったったいねェ」と始めてみるように
しみじみと感心仕切りにアルバムを眺めていたことから
これを見付ける以前
アルバムになど微塵の大切さを感じていなかったのがわかった。

アルバムに写る母は事務所の事務仕事中のものだったり
ワンピース姿や、ボディコンかと思わすくらい、痩せているし(笑)
ウエストのくびれたドレスみたいな、この時代になんておしゃれな、
自分が絶対にしないファッション、
母は小さい人だったが小さい人というイメージがなかった。
お産の後のふくよかさの維持(笑)それに面倒見のよさや
情の深さ、行動力、正義感、社交性、コミュニケーションのうまさ、
どれをとっても私が足元にも及ばないから、大きく感じるのだろう。
父に言わせると母は父親似だったらしい。
顔をしかめて(笑)曲がったことが大嫌いな人だったと聞いた。
もう、ついには母の年齢を超えてしまって、
しかもアルバムの母はもっと若い
とうとう私よりも年下になってしまっている。

私はどんどん母から遠退くように年を取って、母のアルバムをながめる、
もはや年下のかわいい大切な人と。

それがとても悲しい。

古風なそして現代的な

最近自分がやってると言うよりもなんらかの働きでやらされてる感が強くて変。
嫌じゃないのだけれど変な気分
だってなんで?こんな本来苦手なことを。

まだタイトルは書かないが日本人の唯一らしい
人類学分野の分厚い書物を読みはじめた。
熊本の山村の小さな村のルーツみたいなものだろうか、
でも前置きやプロローグを読んでもまだピンと来ない。
母が生まれ育った村の話。私もちょこっと住んでいて(笑)
母は今から思えば信心深い人、毎日炊きたてのご飯を
小さな(あれ、何て言うんだろ)器に水で濡らしたしゃもじで、
「てこてこ」(笑)して仏壇に備えていて、私も手伝いをしたことが有った。
当時の日本ではありふれた日常。
父が出張ともなれば陰膳で鯛の尾頭付きみたいな煮魚とともにご御仏前に。
今では小さなお店等全部がなくなり、こんな情緒的日常は継続できないが。

毎日晩酌に焼酎を飲む父に食事前に酒のおつまみ、
お刺身等出してからの食事で、近所の八百屋さんで
「三枚下ろしにしてください」がお使いの時のキメ台詞、
心で一度唱えてから言う(笑)

何より父への不満など子供の私たちが言ったものなら途端に叱られたくらい
古風な日本の妻らしかった母。

家庭では古風でも姉さん女房の父より3才年上だったから実質は
手の平で躍らされてる
尻に敷かれてる父、
と内心では思ってはいたが
だから母と一緒の時は亭主関白風をやっていられたのだと思う。

母はその当時は珍しく車を運転していたし仕事もしていて
参観日にはキメて来るしで(笑)
今の働くお母さん達となんら変わりがない。ただ先を行き過ぎの感有りの。
私のようなおとなしめで地味だった幼少期はさぞや
不釣り合いな親子に写って居たことだろう。

母が亡くなったとき父は仏前で「なんで先に逝ってしまったとか」と嘆き悲しみ
その時は父も情が深い人なのだなと思ったが、世話されるタイプの父
早い段階で再婚の話がちらほらと、やはり自分の老い先が思いやられたようで。
何より至れり尽くせりの母の亡き後一人で生きていかれる性分ではなかった。
プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







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まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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