「会いたい」は母親との別れがベースの歌詞

沢ちひろさんが作詞された「会いたい」を歌う歌手の沢田さん(なんかややこしい)
もめてるようだけど
沢田さんは歌手としてこの歌の生みの親を悲しませ
それも無視して喜んで歌ってはいけないと思うのです。
歌で人を苦しませてはいけないと思うのです。

ましてやこの歌の生みの親の作詞家さん
作詞家がいなければ
この歌はこの世に生まれなかったわけだし

聞いてびっくり、
何よりお母さんのことを思って作られた歌なら
本当に不信感だし、亡くなった彼の歌として歌うなんてすごい度胸だなと思う。
亡くなった母親を思って作った→亡くなった彼を思って歌った。
もはや、性別すら違う、状況もまるで違う
そういう死別ということになると
子供にとって親は特別で神聖な存在となるものだから。

歌手の沢田さんは歌詞が生まれたいきさつを
作詞家の沢さんに聞かされていなかったのだろうか
知っていたとしたら感性を疑ってしまう、知らない、尋ねないはおかしいと思うし。
この大切な歌詞のできた経緯を

今回の態度からして、はたから見ていても歌詞を汚されてる感じがする、
早く母親を亡くしたものとして作詞家の沢さんの気持ちがよくわかる。

そのうえ替え歌まで
思い入れのない人がふざけて歌詞を変え歌うならともかく
バラエティ気質まで発揮して…なんて度胸のある人なんでしょう。
私なら「おちょくっているのかしら」と思うかも

原詩と断って真面目な方に
亡き母の歌として歌わせてはどうだろう。
そういう歌としてしみじみ聴いてみたい。
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書かないのも変だし

今年もあと少し、
いろんなことがあった
良いことも、良くないことも…
たとえ、よくなくても腐らない。
そのまま気にも留めず流していたことも、やりにくさは見直す、失敗の原因を探す
記憶に残るように頭にとどめておく
そう考えるようにした。
忘れっぽくなる年代になると自然とこうなるみたい。


無名の詩人
子の作品があれよあれよで処女出版(詩)はこびとなり
ジャンルが違うが出版は2作品目

そうそうたる人の後押しで、
と思うと、おこがましくてわたしが書くのもどうかと思うが。

本人は本人で自分などが、世に作品を出すなんて
という気もちもどこかにあってなかなか進めないでいた。
ついに重い腰を上げた、というところか

個人的な感想
作品は言葉の紬方が綺麗、そして物の見方が
面白い。
難しいけれど不思議な世界観がある。
少し、玄人受けでよく売れるものでないような(笑)といわれていたり。
よく売ることを考えての出版ではないけど…

詩を読むとき、
この作品の詩の内容を理解できるかどうかを考えて
読むものではないと思う、受け身で読んでる人ばかりではないのだし。

ただ、自分の感性と似た作風に惹かれるもので。
いろんな作風があると思うが、自分の好みの詩集とおもう。





童謡

なんか、ふと浮かんだ懐かしの童謡。
(何回も童謡と打ち込んでるのにこのパソコン「同様」ってばかり打つ。
しょっちゅう、変換に首をひねることばかり。
前後の文脈読めばわかりそうなものなのに

めんどくさいPC)
曲は←これも三回目に正しく出た。
極→局→曲
で、間違え、歌詞は
「ないしょないしょないしょの話はあのねのね
にこににっこりね、かあさん 
お耳にこっそりあのねのね
坊やのお願い聞いてよね」

これで合ってるのかな。曲のタイトルは知らない
なんとなく浮かぶタイトルが変に感じるし。「ないしょ」

この曲なんにも悲しい歌詞でもなんでもない
でもなんでか歌ってると
涙ぐむ

追記、タイトルは「ないしょ話」かあさんは→かあちゃん
山形県出身,結城よしを作
24歳という若さで戦病死された。






詩と小説

詩誌

娘、寄稿の同人誌
別の一誌は、名ばかり連ねて不定期気味

詩は創作物語で書いていたり
小説などならば細部にわたり詳細に書かなければならないが
長々と書くのが苦手なようで
詩が好きなようだ。
今度はコンパクトに書くのに苦労
想像の世界を書いたり別人になりきって書くので「ええっ!」な感想を持たれると困るのだそう。

小説が想像の世界を詳細に書くとすれば詩はコンパクトにまとめ
さらに韻を踏んだり簡単に言えば詩的に書かなければならず、
一部作品にはストーリー性があり抽象的な物があったりで、
漠然としたテーマでは無いらしいので読み取りが難しい。
「解る人だけどうぞ」みたいな冷たさ(笑)
良く私は「面白い解釈」と、言われてしまう。
立場が親子じゃ主観的にもなり勝ちで、客観性が無くなり、身幅が狭い解釈をしてしまう。
どこかで書き手はテーマが一貫していたり、それがつかめれば読み辛さは無いのだろうが。

だからあまり親には、進んで読んでほしくは無い(笑)自分の子供時期を思い起こせば同感。
作者個性の詩の構成も多種多様なら感想もそれぞれ多種多様
感性が養われるのならさらに良しで、詩の面白さはそこにあると思う。

詩的な人々



勝手にアップなので少し(かなり)小さくなりました。
どうも知人の方ですと私ごときが取り上げて良いものか迷う。

娘の詩の先生の出版記念会に出て、その帰り先生を自宅までお送りして
車を溝に落っことすという騒ぎ。
すなわち「脱輪」とやらを
近隣の人々を巻き込んで
現場から娘(「アンブロシア」寄稿)の焦った内容の電話をもらってこちらもアタフタ
何やってくれてんのよ
幸いにも隣人の方たちが騒ぎを聞きつけ出て来られて
角棒で「てこの原理」割とあっさり脱出、親切な方ばかりで助かった。

先生はと言うと、きっと隣人の皆さんが角材的物体を御所望されたのでしょうが
細っこい棒っ切れ自参で現れて周りの笑いを誘ってたとのこと
ハプニングも記憶に残る思い出となったのでした。
先生はかわいらしさも兼ね備えられた上品な凛とされたお花の様な方です。

後日近隣の方達にお礼に行った先でまた脱輪だなんて事
「それだけはやめて」です。
プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
196()年生まれの
9月後半








人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ
ちわわという種の
いぬ




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だんだんばかに
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