見なければよかった映画

こんなことだろうと嫌な予感はしてましたが
映画「ユリゴコロ」を観た。厳密に言うと「ユリゴコロ」ではありません。
あまりにも原作と違う、もう原作をモチーフにした
いや、モチーフでもない、全然別物でした。

心情表現が秀逸な作品なのに
作中の台詞の違うことよ、作家さんになりかわって別のことを訴える勢いだ。
途中放棄しようかと思ったくらい。
いや、今借りてきたDVDの映像が流れてるだけでもうもはや観てもいない、
小説からも聞いた覚えも感じた覚えもない何かわからない変な映画が今クライマックスのようだ。

映画だけを観た人は衝撃シーンだけに気を取られてこの方が面白いとさえ思うかもしれない。
だから衝撃的映画との印象ばかり目立つ評価
息子が怒り狂って絶叫するような作品じゃ無いし、母親は整形もしない。
とても温かい感覚に包まれて終わるはずが、

変な名付けの「まほかるブーム」にあやかり過ぎとしかいいようがない。

DVD、、、なんか終わったみたい、明日速攻で返そう。

ネタバレ(小説の方)
生まれ付きのようにおかしな感覚をもって生まれ来る人間それはいろいろあるでしょう
想像してもそういうふうに生まれたらこわいだろう
この場合最悪で殺人にたいし罪の意識が欠落している少女で(美紗子)
心の闇の暗黒の中にあってもそれでも成長して行くのだ、
こんな難しい題材で
すごい大作だと思うのに、
冒頭の台詞「私のように人を殺しても何とも思わない人間はどこか他人と脳のありようが違うのか
人はホルモンなどの影響でいろんな感情を有す、
ならば将来薬でこんな自分を治すことができるのでは? ならば私も飲んでみたい」←要約
そのようなことを書き記したノート。

ここから、感想。
美紗子は実は感受性が逆にとても鋭くて満たされるべき心が
空っぽなのでは無かろうか幼い頃に満たしておくべき愛のようなものを全く受け取れていない。
ユリゴコロ=ヨリドコロなのだから。
もしくは愛だと感じられずにいる、だから分からない、
殺人を犯しながらも成長の過程で人(ワタシ)対人(アナタ)
、二人称(アナタ)と呼ぶ人が出来ることにより美紗子は変わっていく
空っぽを満たした人として、そしてアナタと息子亮介、千絵を守るようにまでなるのだから
しかも感情を持った、おかしそうに笑うまでに。

そこが描かれていない



だいたいが沼田まほかるの作品を映画化しようなんて
人間が闇として持つ魑魅魍魎さを全部現す力量がいるのだから
恐れ多くて出来ないとおもう。
ただの陳腐な作品のように塗り直され、私個人の思い入れたっぷりの小説の世界観を壊された気分。
勝手に思ってろ、全てになんて合わせられないのだ、としても違いすぎる。


これから先この作家を超える作品に出会えるか、
病んだ現代にマッチしているし今まさに課題でもある白昼夢を生きてるような現代社会
読み解くほどに感受性と真理とを取り戻せそうだ。
目覚めさすような衝撃的な(面白くないと忘れてしまうのが多々)忘れ得ない作品だから。
スポンサーサイト

愛を全うする





にゃー、ついにうちにもどる、うるさいったらない。ベタベタ寄り添う感じももどる。
夜中あちらこちらで落ち着かずこっちは眠れない。ベッドも占拠


映画を見た恋愛写真←古い字のコラボ作品で「ただ、君を愛してる」主人公は
宮崎あおい、玉木宏の二人が若い。
誠人の若さゆえ女性に対して不慣れでおずおずとした感じがすごく自然で
静流は逆にハッキリした素直さと純粋さでかなり泣かせる。
全般台詞に泣かされる。、小さな夢を叶えて、、
ネタバレ
この作品も大まかな人物の設定と経緯「静流」若くして亡くなるのは同じ。
誠人の台詞はたどたどしい幼さももちつつ
静流は静流で誠人にセールスしたり引っ込めたりでかわいい
それでいながらもお互いに真に呼応していて

魂からの結び付きを感じさせ深い深い愛を感じさせる。
両作品とも「静流」の純粋過ぎ、見ているこちらが切ない病で死にそうになった。

純粋無垢、無邪気、ストレートな愛情表現。
愛を(全うする)完結させることは人生が長すぎるとなかなかできないもので
陥りがちな不完全燃焼恋愛、相手を選び間違えても取り返しが着かない(笑
でもこの二人なら長すぎようが全うしたのだろうなと
思わせる映画だった。
映像もとても綺麗。

映像化されたものを確認作業

DVDを久々に借りた、読んだ沼田まほかるの小説がどう表現されたか知るために。
キャスティングはよかったかと思った。
(全部個人的意見です)
映画と小説とでは伝わる内容が大きく違ってもいた。

あの描き方では十和子ただの淫乱女で、←実際そうなのだけれど。
快楽を楽しむだけの変な描かれ方だ。
おかげでスケベな評価を書いて喜ぶ記事もいくつか見た。
そういう類の者を軽蔑(したい)内容なのに←個人的にだけど。
ただ、演じる人が妖艶でとか、淫らであることは必須ではあるけれど。

まあ、これが沼田まほかるの小説を映画化することの難しさだろう。

十和子も(性的虐待)陣治もかわいそうな生い立ちで、恵まれない陣治の容姿と育ち(所作)
しかし映画の中の陣治は所作もきれいだし、顔が汚れてるだけで整ってるのがかくしきれていない。
家庭的という面でも満点の陣治。スーパーマンだったし。
小説であれば説得力満点でもこれはとても映像化は無理な内容がいくつもある。
変な台詞もいっぱい有ったし。
何となく悪い人十和子、いい人陣治で終始した感じ。共感できないとかいっときながら。何ですか、

女性作家の小説を男性の映画監督でって、絶対にどこか乖離してる。
何と言っても、沼田まほかるの小説。
(なら小説との細心のすり合わせが必要と思うけど)

陣治は母性の強い男だったからラストの意味がわからない人も。

女性の性の問題が最後陣治の主人公化で
確かに凄い愛ではあるけれど擦り変わっている
一番泣いたところでもあるから、映画もよく出来てるなあと
それでも原作を読まないで観ては誤解しそう。
そういう類で楽しみたい者にはいいのでしょうけれど。
わたし個人の意見でいえば映画と小説は大分違う。

思い込みのマニュアルで接してる

テレビのアプリでYouTubeが見られるようになってから
邦画を幾つかと、ちょっと?Hなのは履歴が残るので最小限に(笑)

洋画といえば一年前話題?「ララランド」と
熊本地震の2016年辺りに話題になっていたような「キャロル」
を観た。
この「キャロル」と言う映画、たしかに男性ウケは悪いだろうなと思う。
だって同性を好きになるキャロル自身が相手に話す会話に無駄が全くないし
洗練され尽くし気が利いている。
圧倒的な包容力、積極性、人間性。「私の存在意義」と言っていた、当然と思う。
行動も相手を常に思ってのものだし、強い想いは子供に対してだって
決してブレない。女性は知性的に描かれていて
容姿から立ち居振る舞い、優雅で何せ美しい。
後半に行くほどに感動、テレーズ役の人なんて全く演技に見えず。
男性が(自己中な)真似のしようがないから、一部でのブーイングも仕方がない。
そしてこの映画を女性が評価しないなら男は相変わらずの野放し。
性別関係なく見習ったらどう?と思う、アビーの無償の愛も素晴らしく
愛し方のお手本のような映画でした。


それに比べて「ララランド」あんなに賞を取って賑やかだった割には
結局そうなるの?って
言ってたこと嘘だったの?
チャラい愛だなぁ(この場合しょうもないのは女性)
と「キャロル」とは対照的で相反する感想を持ったのであった。
音楽とダンスでストーリーは二の次だったのかな、にしても、、個人的に時間の無駄。

時代錯誤的な

いやー時代遅れなことで感動。
家も新築なら、テレビもそれなりに大きなものを買い、家電店の勧めもあって
無線LANで、YouTube、Unext(お試し)観てる。

テレビ番組は霞む、特に日中なんて全番組が面白くもないから暇な時間観てしまう。
テレビは終わったんじゃなく進化してた。
「パンとスープとネコ日和」観たりして。

すぐに嗅ぎつけたみたいにNHK受信料の件で集金員さんが
やってきたんだけれど住所変更するだけだから。
でも今は、集金の方が自ら玄関先でNHKに電話して失礼な態度がなかったかって
取り次ぎさせるのにはびっくり、集金の人、目の前にしてさ、
「いやあ失礼な人だねえ、君の社の社員は」なんて言える人いるのかなあ
無意味なオプションと思ったけど。
とかなんとか1Q84の本の内容とか思い出しつつ。
因果な仕事だ、と今回ばかりはちょっと同情した。。

YouTubeでは宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」とか聴いては干渉的になっては
いつの間にか泣いてたりするのだけれど
終盤あたりの重低音は
胎児が子宮の中で聴いてる心音みたいに響いてすごく心地い。
音の良い迫力のテレビはいいね。