賛否両論な場合じゃない

映画Girl
を観た。
ネタバレ注意、あらすじ
トランスジェンダー(性の不一致)の「ララ」身体は男だけれど外面は女性的
バレリーナになることを夢見ていて先では医療にて肉体的にも女性になることを希望している。
いまのところホルモン剤(錠剤)を飲むにとどまっている。
そのうちに様々な葛藤があって、、衝撃の展開となるのだけれど
この作品シスジェンダー(性が一致している)の人が役を演じるにあたって
激しい賛否両論を招いたのだとか、年齢的に?もあるのだろうか

私など余命幾ばくもない難病を
健康な人がひどい作りのドラマ等で、演じているのを見ると
間近に迫る死を見つめる者の気持ちを
本当に理解して演じることなどできるわけが無いのにと
この方がずっと不謹慎、と思ってきたとのとどこが違うのだろう。
こちらはこのほうが余程割り切って観ると言う準備が要ったし。
下手な三文芝居など本当に不謹慎と、、
でも、そこまでこだわれば病気の人の映画など作れないけど。

ただ本当に役者さんが女性かと思わせるくらいに
仕草振る舞い表情がとても洗練されていて美しかった。
ケイト・ブランシェットを思い出させるくらいな大人な優雅さ落ち着きと迫力も。
最初の映画の出だし、夫婦かと思ったくらい(笑)
もとい、だからこういう表に出る所作等に
男女の性差は無いと説得力さえ感じた。

ただ男性のキャスト陣、かわいい男の子にはなんの不満もないが
父親の娘(ララ)に対しての対処がまるで、先に書いたみたいに
話し合いもとことん、触れ合いもどこか恋人同士のように真剣極まりなく(笑)
違和感は感じた。外国って(息子)娘への接し方こんななのかな
それに対して仲間でありライバルである女性陣はあまり情緒的には描かれておらず
嫉妬心、意地悪、無邪気さくらいしか感じ取れなかった。
なんか女性に対して悪意すら。
映画自体はセリフは少なめで、ほぼ内面をひたすら演じるので
相当に演技力がいると思うが、本物のバレエに精通した
オーディションから選ばれての初の演技とは思えないくらい
情緒の現しかたが上手く、ドキュメンタリーかというくらい
迫真の演技だし葛藤の中に居る人と言う感じひしひしと伝わってきた。。
バレエシューズを脱ぐとき
着替える等の、所作の美しさと、そこから発せられる
色々な物音に聞き入るようにも観れた映画だった。一部耳を塞いだが、

主人公は若く、まだ人を好きになったことがないという
なりたいもののほうが先に決まったと言うことか?
もしも女性の体を手に入れたあと性の不一致を感じたりしないものかと
私が思うのは身体的な不自然から来る健康面の不一致のこと。
心で「早まるな、落ち着いて」と、二転三転がないものかと
え、ここで終わるの?とさえ思った映画だった。

環境、ホルモンの作用、まだ成長の途中、
どうなるかは本人でさえわからないのにと
身体にメスを入れることと性を選ぶことはもう少し後にならないとわからないようにも思う。
なりたいもののせいで性急過ぎはしないかと。
待てよ?あのとき確信したのか?、、
少し先を読みすぎていたので困った自体になるのかと、
勝手にストーリーを捏造しながら観ていた(笑)


雑感
最近は不思議が常態化して麻痺状態。偶然の多発
良いことに結びつけばいいのに。

もう、気分は秋

昨日「いけちゃんとぼく」をもう一回読み返して号泣
こういうせつない系は読み返すときの心理は少し
怖いもの見たさっぽさが有る。

おっかなびっくりでページをめくってそのシーンの絵なんか見て
ワーンワン子供みたいに泣く、(っていうかそんな風には泣かないか)
どうなるかわかっているのに。
この感じ、主人公が冒頭で体験する絵本の内容同様、
溺れている感覚に似てる。
息が苦しく、
そしてまた相手が捜せないような何処に居るのか解らない途方も無い
虚無感。←違う気がするので訂正、深淵とか全ての喪失とか
そういった感覚から来る息苦しいような切なさ。
終いには書いた人にちょっと腹が立っている(笑)
「猫鳴り」の本とかもそうだし、リアルで。
実際に親を亡くして、とかで体験していたりして、辛い感覚。

映画マンチェスターバイ・ザ・シーを観た。←どうやら地名のよう。
こういうヒューマンドラマ的映画が好きで、
アメリカの映画内容、すっかり時代性の闇を抱え出した感覚ひしひし。
こういう感性、少年は葛藤の中にいても周囲にかける思いやりとか
上等な配慮←表現が変だけど
わかるから、ちょっと意外に感じた。
トーンの低い主人公の声に陰欝さを感じつつも決して不快な感じはなく、
むしろ仕種も目線も何もかもが良い味出してる。
実の親子ではないが少年は見た目大人のようでもまだ子供だから
出来る事と出来ない事の違いやら経済観念がわからない。
また心に傷を負った主人公は一歩が踏み出せずにいる
求めることと与えることの不一致、ボタンの掛け違い。
それは別れた妻との間でも。

終始、不一致。他人とは思えない程に不器用(笑えず)

良い関係性になって行く予感←(個人的感想)だけで映画は終わる。
ただ、最近の映画(ヒューマンドラマ)BGMがすこし大仰に感じる。
ただでさえクラッシックは万全?の完成品であるがゆえ。
壮大で各種多様な音響に圧倒されて映画の相乗効果としては
、、、と感じた。←個人的感想






犬猫騒動記

無料お試しのスターチャンネル観てたら「犬ケ島」ってやってて。
途中から観たのだけれど(日本語吹き替え)アタリの声が好き。なんかいい
米の映画監督なのに日本語満載だしギャグが効いていて面白い。
大真面目にバリバリにカッコつけた犬達の台詞。
普通は映画で動物が人間みたいなのって嫌いなのだけれど
それ風に(なりきって)演じることが台詞もそうならおかしさを生むから。

これって大丈夫なのっていうセンシティブな
メガ崎とか演説とかどうにもパロディっぽかったけど、
個人的にギャグがすべってないのが良かった。
言葉もそうだけど動きとか日本人好みの独特で高度な?笑い。
犬ケ島の
「犬インフルエンザ」って
最近読んでた猫の町は「猫インフルエンザ」なんですけどこれもパロってるの?
おなじように猫も散々な目に会う「猫の町」血清もカギだったし。
犬ケ島がギャグなら
猫の町は幻夢
タイムリーでびっくり

昨日もちょこっとゲイの映画観たのだけどタイトルがちょっと。
観てて米も相当に洗脳国って思った、
映画で主人公を面白おかしく追い詰めて行くから。
こうやって差別が生まれるんだなって。途中で出掛けて最後まで観てない。

エコなので余計寒い感じがしてしまう

最近の家電達がうるさい。何がって、
「チン」して取りださないでいると「忘れているのかなあ」?と言ってくる。
しかも少し悲しそうなトーン
これは、まだ良いとしてもまず、「角皿は使わないでくださいね」これは温めだと毎回言う。
再加熱できますよとも言うし、もっともっと使ってアピールも。
最後に「また使ってくださいね」って「ピポピポりん♪」みたいな
短いエンディング曲まで伴っているんだから、壮大だな。
オープニング曲が無くて本当に良かった。いちいちだから。

使うときしか使わないのに何言ってるんだろう、しかも忘れた頃に
3分くらい後だから唐突に感じるし、間も悪い。

(取りだし忘れを教える)これは良いと思う、とても。

エアコンもそう、まず、しばらく使うと
「今日の電気代」を言いまして、昨日の電気代を超えると
「昨日の電気代を超えました」と言い、
消すと「今日の電気代は○0円でした」とか
毎回言うのだから、何だか嫌になって来る。
お客さんが居るとき気を遣わせるじゃないのと思う。
ここまで来るとさすがに、寒いギャグ言うツッコミ待ちの漫才かと思う。
こっちは面白くもないからツッコミませんが。

とうとうお部屋の空間までもを機械達が占領しだしたってこと
突然スマホはしゃべりだすし、AIは本当に流暢、
今に人間より自己主張し出すかも知れません。

ネタバレ注意
映画「世界にひとつの彼女」男性にしてはちょっと臆病、知的で繊細な
(ホアキン・フェニックス)演じる主人公
AIであり実際には存在しない彼女に恋をして
(ルーニー・マーラ)付き合ってる元の彼女❓とは別れることになる。
AIだから理想的な彼女をピックアップ出来る。
しかも仮想現実(実体はないが)心みたいなもんだから
次第に相手をぞっこんにさせるわけだけど
でも、処理能力も高くて実はAIの彼女は(心は)不倫してたって現実、
だって処理能力その数もハンパなくて、、
ここは笑いどころかそれともホラー?
始まりは妄想みたいなものだったろうけれど
虚しさ感も吹き飛ぶくらい本気だったでしょうに
複雑な気分、割り切ることができれば幸せ。
心が強くなければ捉えようによってはマイナス❓
こんなのものも将来絶対に違う形にせよ実現するだろう。

理想的な彼女だっただけにそのダメージ足るや
「ご愁傷様です」といいたい(笑)
(まあ、この映画言いたいことはそこではないのでしょうが)
映画ではない現実ではこの主人公、
結局共演したルーニー・マーラと結婚したんでしょう?←お付き合い

男性の足が臭くても生身の人間で本当に良かった。
ちょっとショック。

エアコンの無粋なおしゃべりは本当に要らない、取説読んでなんとかしよう。
車はたまに喋るけどいつも無口な分信頼できる奴。
「急発進です!」     でも、やってしまった後言うのはずるい、
私にだってわかるもん。つまりは反省を促す車ってことだけど。
本車線入りのときはどうしてもそうなるときが、
でも、2回くらい(笑)3❓
早く出ないと逆に危なくなるから。

表現難し、、つくづく思う

嫌な予感はしてましたが
映画「ユリゴコロ」を観た。
あまりに 沼田まほかる
原作と違う。

心情表現が秀逸な作品なのに
作中の台詞の違うことよ、
作家になりかわって別のことを訴える勢い。

借りてきたDVDも映像が流れてるだけでもうもはや観てもいない、
小説からも聞いた覚えも感じた覚えもない映画が
今クライマックスのようだ。

映画だけを観た人は衝撃シーンだけに気を取られて
この方が面白いとさえ思うかもしれない。
だから衝撃的映画との印象ばかり目立つ評価。
息子が怒り狂って絶叫するような作品じゃ無いし、母親は整形もしない。

とても温かい感覚に包まれて終わるはずが。

DVD、、、なんか終わったみたい。

ネタバレ(小説の方)
生まれ付きのようにおかしな感覚をもって生まれ来る人間
それはいろいろあるでしょう
想像してもそういうふうに生まれたらこわいだろう。
この場合最悪で殺人にたいし罪の意識が
欠落している少女(美紗子)
心の闇の暗黒の中にあってもそれでも人は成長して行く。
一般的でない人の内容で、しかも特殊な人物の。

要約して書くと
冒頭の台詞「私のように人を殺しても何とも思わない人間は
どこか他人と脳のありようが違うのか
人はホルモンなどの影響でいろんな感情を有す、
ならば将来薬でこんな自分を治すことができるのでは? 
ならば私も飲んでみたい」
      ↑
台詞で、他人には言えそうもない自分でコントロール出来ない
感覚に戸惑っていることが解る。
そのようなことを書き記したノート。

ここから、感想。ネタバレ
美紗子は実は感受性がとても鋭く、満たされるべき心が
空っぽなのでは無かろうか幼い頃に満たしておくべき
愛のようなものを全く受け取れていないで。

もしくは愛だと感じられずにいる、だから分からない、
殺人を犯しながらも成長の過程で人(ワタシ)対人(アナタ)
、二人称(アナタ)と呼ぶ人が出来るようになることにより
美紗子は変わっていく
空っぽを満たした人として、
そしてアナタと息子亮介、千絵を守るようにまでなるのだから。
しかも感情を持った、おかしそうに笑う人にまで。



作品の映画化は(個人的感想)
人間が闇として持つ魑魅魍魎さを現す力量がいるのだから。
相当な心理学的、病理学的見地に立ってみるべきで
複雑な心理、病的部分がただの阿鼻叫喚作風にて終始して、
観てる者はそこに捕われてのみ終わる。
私個人の思い入れたっぷりの小説の世界観が、、
全ての興味になんて合わせられないのだ、としたら違いすぎる。

病んだ現代にマッチしているし今まさに課題でもある
白昼夢を生きてるような現代社会
読み解くほどに感受性と真理とを取り戻せるヒントになるようで。
プロフィール

CHAMOKO

Author:CHAMOKO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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