避けたくても

朝、絵本の話が出ていて「ママがおばけになっちゃった」
っていう絵本
この内容には自分も覚えがある、

小さいころお母さんが死んじゃったらどうしようって
母のちょっとした、(ただの風邪)体の不調を大げさな病気に結び付けて
不安になって、泣いて、みたいな。

すごくお手伝いする、良い子になってしまう(笑)
普段絶対しないような事をして、ついうっかり母を喜ばしたり。

でも実際、人間の母親はいつまでもいてくれないと
不都合が多い、何かあった時、おいそれとは実家に帰れないとか
相談もできないし、一緒にいろんなとこもいけない。

何より自分の成長を見せるという張合いもなくす。
大人になってもこんな体たらく
あんたはしっかりしてるから心配してないなんて言われたって
寂しいことです。

しっかりなんてしてないし。

ただ、お化けが怖くなくなるって言うのはある。
お化けでもいいからとか、
どこか、、すぐそばにいるような、より身近になったようなそんな感覚も
あるけれど、絵本のようにあんなに小さかったら
辛すぎる、
でも本当にテレビの人が言ったように
トラウマになるくらいな子供の頃の経験が
悪いことをしない、良いほうに導くこともあるのだろうとは思う。
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下手したらマイナスだから

いつかは娘の置かれた仕事場での実情を書きたいと思う。

私の母は一を言って(会話)一返ってくる人ではなく
二も三も与えられる人だったように思う。

私など一を言われ一を返しおしまいじゃなく。
一に対しての一が二にも三にもなる人。
そういう人がいる。
そういえば父にもそういうところが

父なんて与えなくても(会話じゃなく存在?》、
与えられる人という感じすらする。
なんか、人にかわいがられる人っているよ。

こういう両親に育ったのに(笑)
ちやほや時代は歳とるたびに減ってくだけの。

両親は二人とも六人兄弟の末っ子で
末っ子同士の夫婦だった、
でも母は周辺に対して面倒見が良い人だったなぁ

それに比べて頼んない自分

私にとって母との生活は短い間だったが
短くても濃くて強い印象を残してくれた。

母は私にとって最大の安心を与える人であり、正義の味方であった。

小学校で低学年にもかかわらずベテラン先生の女先生が担任になってしまった時。
授業時間が恐ろしくて仕方なかった、指名されて解く算数
黒板の前で先生がいちいち怒鳴るので
頭が真っ白になって適当な数字を書き殴っては
ますます怒られたという記憶。
全生徒を恐怖のずんどこに陥れるという、少し小太りのメガネの先生だった。
あの口調、あの威厳、どう考えても高学年を受け持つべきだ。
休み時間になると怖さのあまり、
終業チャイムが鳴るのを待ち遠しく待ち、
そそくさと校庭に出て友人と恐怖の感想の時間に充てていた。

学校に行くのが憂鬱だった。憂鬱だった日はこの日ばかりではない
集団予防接種の日もしかり(体育は得意だったが)水泳のある日、
給食残すなの時間、何かしらの発表の日も
当の私も母も、なだめる、奮起するはで大変だ。

小学二年生
そういうことは働いている母親にいちいち報告する
私ではなかったがこの時ばかりは母に話したのだろう

小2の私の誕生日会に先生が来てる。
「なんて最悪な誕生日なんだ」と思ったのは当の本人の私ばかりではない
呼ばれた友人も同じ思いだったと思う。
誕生会のメニューは面白いよ、私の好きなものだし、
それを網羅するわけにはいかないから、ピックアップ
私の好きなお赤飯、紅白なます、その中にその二つがあったのだけははっきりと覚えてる。
なんて渋い、、

しかしこの日を境に先生の態度は一変したのだ
接するときはにこやかになり冗談を言い何かと気遣われるようになったし
とにもかくにも怖い存在ではなくなったのだ。
先生の町の祭りに呼ばれたり。

卒業時期、クラスの委員長は手紙をくれたけど
あなたは書いてくれないのかといわれたが、
そんな立場にいるなんて
想像もしなかった。

母はいじめられてるといえば、必ず心配して何かしら行動を取ってくれた
そのたび、私にとっての正義の味方は
社交術に長けた、しし座の頼りになる母だった。

この年になっても母の存在は頼もしいものだったと思い起こすし
自分は真似できないことだと、今更ながら母に追いついていない自分に
情けなくなるのだ。

働くお母さん

昔共働きでかぎっ子だった私は、お家に帰ったら
「汗かいたねシャワーでも浴びて汗流したら?」って書かれた小説の一節に非常にあこがれたものだった。
「おかえり~」の声にどれほどあこがれたものか。
父の再婚相手は専業主婦、ほんの一時期を一緒に暮らし家へ帰れば親的存在がいるを経験、
血縁で無くても家への暖かさ安心感を感じた。
今は、そんなお母さんの役割に微塵の価値も見出してない。働く女性を男性でさえ高評価。
そんな土壌にある痩せた日本少々情けない。

当時、自分はと言えば我子誕生から仕事を辞め(仕事は全く嫌いではないが子育てとの両立はムリ)
自分の満たされなかった願望を子に
与えてはどう?どう?と、どんなに我幼少の恐怖と孤独の昔を語ったところで
ぽっかりの空洞を埋められなかったさみしさを子への代賞行動で埋めようったって
それは所詮代賞でしかない。
子供は最初からそこは満たされてしまってる。

そうして今度は子供自身が満たされなかったことを実践するのだ。
今後の子供の生き方が親への評価だろうか、恐怖だ(笑)
働くことは、女性だって同じ、野心が満たされるのだ。
より多くの人の役に立ち(賞賛を浴びたい←人によっては)たいのだから。
その前に生活の為の金銭も。
そうやって、いつの間にか性別も取っ払われてくるのだろう。
働くことを夫婦で許しながら女性の役割も家で果たそうとしたら間違いなく立場は女性が上になる

子育てはそんなに簡単なものじゃない。
「親は無くとも子は育つ」は慰めであって正論とは思わない。
今の様なやまいだれの日本、見守る目失くして子が育つものか。

それでも歴史は繰り返してしまう。

警察はなんか的をはずしてない?

まだ若かった頃バイク時代の最後(2回目)の違反切符のお話。

バイクを駅に止め目的地へと通ってた頃の話で、
帰宅路
駅の駐輪場からバイクを出して来て1~2メートル先に一時停止線が有る
でもバイクに乗っかったばかりで安全確認済み
何せバイクは耳からの情報がかなりある
車は絶対に来てないし人だってだ~れもいないのが確認しやすいのは
箱型で外部との遮断型でないバイクの利点でしょうが。

その上見通しはかなり良い場所。
そんな事も有って停止線では停止せず。

「しまった!」ここいらには、派出所が有った。
運が悪いったらありゃしない派出所の裏窓
窓からたまたまの偶然ちら見の警察官に見られていたようだ。

またまた手招き、飛んで火にいるなんとやらだ。
あまりに落胆の私は何でまた…と自分の不運を呪いつつ
ぶつぶつこれが2度目だみたいなことをつぶやき
「なるほど~あんた常習者?」みたいな格好に「ええ~っ!」んな訳ない
まじめなまじめなまじめな…ド真面目な
…警察官の前で墓穴を掘ってしまった。

こんな時印鑑なんか持ち歩いてるわけじゃ無いから「親指?ぼ印」を押す事になる。
なんとなく不快感を感じる警察とのやりとりや、やり方
警察への憧れなんてもう全然なくなり。

本当に貧しい学生時代や親との独立直後警察はこんな若者からお金をむしり取る、
暴走車、ノーヘル、改造車、悪い奴にさんざん迷惑かけられてるのに取り締まらず
こんな、たまたま目に入って来た、怠惰な取り締まりで
警察によって貧民にさせられ


警察さんにはその後、ある事件での犯人逮捕とか紛失自転車発見とか助けられもして
今では感謝の気持ちもあるのですけれど。
人生いろいろ
警察官も色々ってことですね。



プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
196()年生まれの
9月後半








人と同居しているのは

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ねこ
ちわわという種の
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だんだんばかに
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