開き直り

田舎から市内に引っ越すときどこの都市でも同じだろうけど
特に本県は
強い性格してないと無理よ、ってアドバイス受けてた。
確かに、男性も女性もきつ、強いのなんの。
若いときは負けちゃならんと気は張っていたけど
バイク時代さすがに怪我させられそうな運転の
脇道から無理やり入り込んで来た白のセダン40代くらいの
運転手の男の人と口論になったことがあった。
怒った表情の私に激昂し(高)←こちらも同じ意味
バイクに車を擦り付ける形で止めにかかった男。

車から降りてきた男は白いズボンだし(笑)上はテロンシャツだし
激昂の極みだしで、さすがに咄嗟に相手(にする)が悪いと思った。
若さのせいと周辺が相当に目立つ場所だったのとこちらも激昂の極みで、、と
男の激昂のさらに上を目指した。←命かかってたから自ずと怒り心頭で
内実、足はガクガク、「警察に行こう」(どれほど危なかったかの説明と)
の一辺倒で終始、最後の最後で相手が折れた。
笑顔の握手解散、ん?勝ったのか?
いやこちらの剣幕に相手が先に正気に戻ったようだった(笑)
警察行かれたらそれこそマズいと思ったか。
十代最後辺りだった、若気の至り、もうあんな無謀は出来ない、
それよりもそこまでに至らないようになったし。
感想
成功哲学に出てくる黒人の少女、
「お母さんにはどうしてもそれが(お金)要るの!!」
少女はそうして大人をも圧倒して勝利、
落ち込み気味のとき助けられた本。

幻想とリアルでは
リアル側が負ける、。当然

何処を応援しているのだか

保育園児だった頃
落とし物が溜まると教室の後ろの棚から先生が箱を持ってきて
中身を見せつつ「これだれの落とし物ですかー」って
定期的にやってたのを思い出した。

たいていがハンカチで
私はそれを見てるのがすごく好きだった。
先生がハンカチを高く持って皆に見せ、
名前が無いかを確認し、よく見えるようにひらひらさせた後
またもと通りに畳んでいく動作、ハンカチを畳んで半分また半分、、
四角い形にたたみなおして箱に、
時折爪が当たるように感じた無音の中にコソリとした音
耳を澄ましてた。
なぜか誰も申し出ないのだけれど(笑)
その静かな一連の動作が後に
お茶の帛紗を畳む所作で感じる感覚と似ているような。
静かな一時の優美さとか洗練とか、あの空間が良い。

世界情勢が複雑過ぎてもう笑うしかない。
中国、ロシア、米、激動期に日本は静動
中国の最大貿易相手国がEU、なんか複雑な気分。
大丈夫❓その素材一個一個
中国は国民を暴動に駆り立ててしまう国、民主主義の国ですらないのに。
潤わしたりしたりして、結果、加担したも同じなのに。

日本の間の抜けたセキュリティで技術から何もかも全部を明け渡して首位独走。
日本が脇に追いやられてる、イスラエルと手を組もう(笑)
隣国二つ三つがポジティブ的に悪くて。
あのトランプ大統領が中国よりよほど人道的で?
ロシアでさえ自浄作用で国民が動いてるのに、
圧倒的に制圧的で非人道的な国。
国際的に成長したはずの世界各国から疑問が湧き起こらないのが不思議。

親がしてくれていたこと

前のblog名にこだわるクローラー?
子供時代、人生お初なことは不思議に思うことばかりで
日々積み重ねていたようだったけれど
ある程度人生に馴れが生じるとそんな疑問も少なくなってきて、
というか考えても答が出ないから。
幼稚園とかで生まれて始めてにすることが
なぜかすんなり出来てしまうとか、
方法(動作)を知ってるとか不思議だったのだけれど
今それが何だったか憶えていない。
親は、たいていのことは「大人になれば解る」だったが
聞こうと思ったら親、居ないじゃないの。
一番衝撃受けた真実みたいなものを私は抱え切れずに親に尋ねてた。
(私が)あんまりな時には、親は相当に返答、頑張った(笑)

まず女の子であるということの証明である月からの贈り物の衝撃(笑)
これを聞いたときは人生の先行きに少なからず疑心暗鬼になってしまった。
何故って、まだ大人たちは衝撃的事実を隠していないかと思って。

結局のところそれがお産だったから。洒落にならない。

日本はフランスみたいに無痛分娩が主流ではないから、
これは聞いた衝撃を緩和するための常套句「案ずるより産むが易し」だなんて
(少なくとも私にとって)何の慰めにもなってない←結果論、、
多いに騙された感のある
女性の運命を思った。
たいていの人は周囲の手厚い擁護で確かに「案ずるより産むが易し」は
正解なのだろうとは思う、
お産、
あれは励まし等が絶大な応援になるから。

この二段階の衝撃の大きさ足るや男性と比べてもどれだけの差がある?
男性なんて、何か苦しみみたいのあるの?
愉しいばかりの、身体的苦悩が殆どない(笑)
だから馬鹿げた犯罪ばかり起こす。

若いときの衝撃がこの二つ
最近まだあるんじゃないでしょうね、と訝しんでいる。

お産は母親を亡くしてからのことだったので
当日の不安を取り除く力にはならなかったけれど
病気に臆病過ぎた小学生のころ母に取り除いてもらった不安は数知れず。
すぐ調子が悪いととんでもない重病な病名で思い悩む私、病死が怖かった。
今思えばお笑い草の。調べたらヒポコンデリーとか
母は、きっぱり否定するように「有り得ない」のだと、言ったから。
母独自の信念の思いがあるようで、それがどの病に対してもなのだから。
しかも未来に渡って、ないと言う理由も述べつつ、信じてしまう子供信者(笑)
私を救う「有り得ない」という言葉。たとえ今ではその言葉が眉唾ものでも。
その当時の(特に)母親は子にとって、絶対だから。
不安なんて木っ端みじんになった。
今では思う、人はなんらかの病気になって死を迎えるのは
自然。
そしておかげで素人ながらも医学好きに。
医学書読んではお腹が痛くなる(笑)

胎児の記憶

小学生低学年くらいまでは子宮の中での胎児の記憶が有った。
もちろん言葉がないので感覚だけなのだが
今どんなに頑張ってもその頃感じていた
その感覚そのものを思い出すことはできない。
ああこれは、、、この感じは、、、と、脳内が心底懐かしがる感じ。
後に覚えた言葉で表現するなら
ほの暗いはずなのに明るいと感じる、
(胎児は母体を通じて明るさを感じ取るらしい
図書館で読んだ。。保育器の赤ちゃんに
昼夜の区別を付けるためサングラスを掛けさせる案(笑)後に却下、そりゃそうだ)

空気もなければ自分一人だけの空間なのに(今思えば)
丸まって、圧倒的な安心と温かさに包まれた感覚
と表現するべきか←これらを一瞬で感じてるのだが。

地元の内科の病院で逆子で産まれ
羊水に溺れた仮死状態で、父から聞いた話では
母が悲痛に「どうにかして」と言うのもあり急きょ
バイクを飛ばし産婆さん(ごく近くに住む)を連れてきたらしい。
産婆さんは私の足を持って逆さにして背中をバンバン叩いたのだとか
それで「オギャー」と一声(笑)、蘇生したのだそう。


この話にはのちに不思議なことがあった。
その後私は小学校にあがり
かわいい顔立ち、かなりおとなしい
先生の質問にさえ答えないと言う
女の子と同じクラスになった。
子供の世界なら当然のように、なぜ口をきかないのかといじめに遭い
可愛いというやっかみとかそのほかの感情とかで。
たまたまいじめてる子の中に以前仲の良かった子がいて「いじめるのやめてあげて」
みたいなことを言って反感を買ってしまったけれどその後、
恥ずかしくて言えない「友達になって」を
言った(笑)普通、わざわざ言わないものでしょう。
でも、おとなしいから「申請」するしかないもので。

後で知るのは、その子こそ、産婆さんの孫で。
仲良くなってずいぶんたってから汽車(通学)の中で珍しく軽快(早口)に話す、
しかも敬語抜きの怒ってるような話し方をしているので
「そんな言い方目上の人にやめたがいいんじゃない?」と注意したら、
私のおばあちゃんだと言うからびっくりで、
「○○さんとこの、、、さんね
仲良くしてあげてね」って私を覚えていた。
命を救ってくれた産婆さんに妙な形で初顔合わせ、
軽く言い合いになる前に早く紹介してほしかった。

私は、その産婆さんの孫に恩返しをするため
蘇生(させられた)したのではと今では訝るくらい(笑)

その子はどんどん快活(意外と勝ち気な性格)になって驚き(笑)
その後結婚、
恩返しの昔話を架空じゃなく現実に、思い出す不思議な話で。
役目は果たしましたけど(笑)

差別はこんなに細かく世に蔓延してるのに

小さい頃を思うと何でこんな目にと言うくらい
母を亡くしてから本当に苦労した。

田舎の古い慣習と日本の男女差や年功序列、それでなくても長女次女で
差をつけられ、冷遇され、小さい頃は「何でお姉ちゃんばかりかわいがる」
直訴したこともあったくらいそれでも
父親は上を上として立てるがため、差をつけることを止めることはなかった。
母が父の出世を願って毎夜のような宴会の席でも酔っ払いの
長女崇拝、妹よりもきれいだのなんだのと、小さい頃は確かに姉はきれいだった。
清純派って感じの。
比べられてはたまらない、これで酔っ払いが嫌いになり。
処世術に傾倒する人生がここから始まった感がある、
「悔しさ」これを
あまり感じる自分ではなかったのに身につけるべくして身につけさせられたので
それは逆に今後の生き方に影響を与えた逆境の功とでも言うべきかも。

それは日本の行事、お年玉から、成人式の着物、女でも先に生まれたと、長男扱いで優遇
学校への忘れ物の届けること(弁当)私ときたらお弁当の時には母親を亡くしており
届くどころか作らねばならぬ立場だった。

母親はこんな差別はしなかった、
子育ての時誰でも思う二度目の轍を踏まぬよう私の時はより一層厳しかったが
逆に厳しさから母親の真剣さと今後の私に欠けているところを指摘する厳しさから
逆に優しさを感じた、戒めは自分が陥りそうな文言ばかりだから
良くわかってくれていた母だった。
父は一見優しい感じだが父に母親ほどの積極的な情を感じたことはなかった。
無口な親子になってしまっていたし。

思い出として取っておいたものは全部黙って捨てられたし、
今でも子供の扱いに対して間違っていたとは思っていないようだし
(俺は古いんだ、と公言して憚らず)

ただし、私の時は子育てで差別する、それは極力避けたから
子の精神面で助かった部分も多かろうが
その後の弊害も少なからずあったのは否めない。
親の私が考えて先走りばかりが過ぎて、転ばぬ先を整え過ぎていた。
「思いを押し付けるだけで考えさせること」を疎かにしたような子育てだった
「自分の時のようなことはしない」これに尽きていたような、いい面も有ったのに。
邁進してしまっていた。
プロフィール

CHAMOKO

Author:CHAMOKO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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