母方の祖母の記憶と

映画「せか猫」観た、小説中途読みで映画が先行してしまった。
これも、小説と映画じゃ感想が違ってきそう。


今日は祖母、おばあちゃんの(母方)話を書いてみようと思う。
祖母は寡黙な静かな人でとても穏やかというイメージ
私が5才くらいのとき亡くなったから断片的なイメージしかない、
声がどうだったとか覚えてないし、祖母といる時の母は
あの快活さが嘘のようにいつもと違う
祖母と同じように静かで穏やかな人のように見えた。
祖母は背が低い人だった。うちの場合みんなに遺伝(笑)
顔はというと目の当たりの彫りの
深い日本人離れした顔で写真で確認、あぁそうこんな顔。
母はとても色の白い人だった、
子供のころお風呂なんかで見ると真っ白で
シミすらなく
私と違って手なんかこれまた白くふっくら紅葉のようでうつくしかった。
私なんて父のゴツくしわしわな手をしっかり頂きまして。

祖母は子供を6人産んで最後の最後に女の子の母を産んだ。
それはそれは可愛がったそうで、母の婚期が遅れたくらいだと聞いた。
何度か母の車で出かけて
街(熊本市ではないもっと田舎の)のうちから車で40分位の
フルポン的なものだけだったけど(レストランかな)で
小洒落たデザートを食べたのをおぼえてる。
以前はその時の写真が実家の仏壇に飾ってあったが、今はどうだろう。

そういうお出かけするような日常がずっと続くと思っていた矢先、
祖母は入院した、
一度だけお見舞いに行ってお小遣といって千円札を私達に(姉)渡し
祖母がお札を分ける為に2枚に破いたような記憶がある、
後から思えばそれは死期が近い人のする
朦朧なのかなと子供心に思ったものだったけれど。
「ビックリしたよね」と姉と話したのも
もうろうと覚えている。

その後、しばらくして祖母は亡くなった、肺の病気と聞かされた。
「おばあちゃんが死んでしまったからお通夜で今夜は遅くなる」と聞いたときも
母は普通に見えた。、お葬式のときもそうだ涙を見ただろうか。

母は人や動物の生き死にに感情を出さない人だった気がする。
ひとたび壊れたなら、収拾がつかなくなるという思いがあったのでは、と思う。

そう思うのは
母が子供のころ可愛がっていた犬が死んだ状態で見つかったときも
それから一切自分からは犬を飼うことをしなかったと話してたように
うちに犬が来たときも飼うことに対して何もいわず、
でも一切を私の世話として任せ
寒い冬は餌を(味噌スープぶっかけご飯)
そのまま持っていこうとした私の手を止め、
コンロで人肌に温めさせた母
いつも静かな愛情を注いでいたと思う。
すべての世話をする私よりもジョンは母に絶大なる信頼を寄せていたし
母が亡くなったときも遠吠えをし、吐き、体調を崩していて
「犬にもわかるのね、、、」と母の友達に言わせていた程で
でも、母がいつか私が死んだとき迎えに来るとは
どうしても思えない、だからいつか逝く時も私は期待してはいない。

今度実家に帰ったら写真をいくつか持ち帰りたい。
一枚も持っていないから、
大変な泣き虫で大変手を焼く娘が写真を持ちたいとな。
出世したのだろうか?
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胎児の記憶

私は小学生の頃くらいまで子宮の中での胎児の記憶が有った。
もちろん言葉がないので感覚だけなのだが今どんなに頑張っても
その感覚そのものを思い出すことはできない、
後天的に覚えた言葉で表現するなら
ほの暗いのに明るい空気もない空間なのに
丸まって、圧倒的安心と温かさに包まれた
感覚と表現するべきか。

私は地元の内科の病院で逆子で産まれた。
羊水に溺れた仮死状態で、父から聞いた話では
母が悲しそうに「どうにかして」と言うので
バイクを飛ばし産婆(近くに住む)さんを連れてきたらしい。
産婆さんは私の足を持って逆さにして背中をバンバン?叩いたのだとか
それで「オギャー」と一声、蘇生したのだそう。


この話にはのちに不思議なことが一つあった。
その後私は小学校で
かわいい顔立ちでかなりおとなしい(今思うと場面緘黙?)
先生の質問にさえ答えないと言う
女の子と同じクラスになった。
子供の世界なら当然のように、なぜ口をきかないのかといじめに遭い
その頃のテレビのモノマネ、トイレで水をかけられるというもの。
可愛いというやっかみ、そのほかの感情などもあったのではないかと。
たまたまいじめてる子の中に知り合いがいたので「いじめるのはやめて」
みたいなことを言って反感を買ってしまったけれどその後、
一生に最初で最後、金輪際恥ずかしくて言えない「友達になって」を
言ってしまった相手で、普通はわざわざ言わない。
でも、おとなしいから申請するしかないではないか。
一緒にいるとキキララみたいとか言われたこともあったが
はて、どっちがキキでしょう?

後で知るのだが、その子こそ、その産婆さんの孫で。
仲良くなってずいぶんたってから電車の中で珍しく軽快(早口)に話す、
しかも敬語抜きの怒ってるような話し方をしているので
そんな言い方目上の人にやめたがいいんじゃない?と軽く注意したら、
私のおばあちゃんだと言うからびっくりで、
その時「○○さんとこの、、、ちゃんでしょう?
仲良くしてあげてね」って私を覚えていて。
どうやら命を救ってくれた産婆さんに妙な形で初顔合わせ、
ただ、軽く言い合いになる前に早く紹介してほしかった。

私は、その産婆さんの孫に恩返しをするため
蘇生したのではと今では訝るくらい(笑)

その子はどんどん快活(意外と勝ち気な性格)になってその後結婚、
今付き合いはないが
恩返しの昔話を架空じゃなく現実に、を思い出す不思議な話。
20代になった頃に縁が切れたからちゃんと役目を果たしたみたいだ(笑)

桜を思いやるように、頼む

小さい頃はどの子も同じだろうが私も御多分に洩れず「かわいいかわいい」と育ち。

保育園時期は自分という一個人の中で小規模ながら第一次モテ期であった。
しかしながらどんなに静かに猫かぶっていようとも
ついぞ、おしとやかと言われたことは一度もなかったと、思う。

小学校を皮切りに子供から大人への成長の変遷をたどる頃
一時期、同じ男子という生物から自信を奪われた、
また、大人の扱いも容赦がない、姉との比較でますます自信をなくした。

過去のかわいいの時期は
夢、幻か

過去の栄光として過ごす。かわいいの日々よ。


長い学生の時期を不遇に育ち、少々卑屈さも加わって来て
「どないしてくれるねん」
かわいいから、かわいそうへの移行期。

何故だろう、、多分自分と向き合い自分のコンプレックスにも精通してきて
どう欠点をカバーするかにも慣れてきた二十前後の頃
弱小ながらもファンクラブ結成(笑)
また起死回生のモテ期の再来。

なしてこんなに扱いをコロコロと変えるのだろう同じ男子という生き物は。

そうして、またやってくる
更け(老け)行く秋の夜ー旅のそーらーのーわーびしき思いに一人悩むー

もう、扱いなんぞ、どーでもいい時期になっては来たものの。



加害者(子供)の心理を考えないと

短絡的
未成年だから余計に。
言い訳を聞くと、「中途半端に傷つけるとまた仕返しされる」
だから、残虐にやりたおす。
中途半端を避けたがために結果、
自分に課せられる罪状が徹底したものになる。

その少年の親が悪い、その親にも親がいて、親がいて親、親、親…
みんな横向いて横の人のせいにするような持論を展開する
ビビットの男性コメンテーター。
犯罪者の心理を考えるべきと思う、
少年A、B、Cは現場で三すくみ状態。
三つどもえの三すくみ
結局、積極的に犯罪に加わるという心理になる。
このような心理状態は、以前の凶悪な犯罪でも、
いつも加害者が陥っている。

単純な教育が行き届いてないのだと思う、
この犯罪を起こしてゆく先にどういう結末になるかという想像力の欠如。
死刑や、無期懲役が少年たちには非現実的で結びつかない。
人のいい大人にかばってもらい事なきを得られるかもしれないとか。
私は体罰は暴力とは思わない
「殴ってでも止めてほしかった」とか言ってるのを聞くし、
(こんなこと言う者は結局どう転んでも反論するのだろうけど)

殴られて目覚める者はそこまでしないとだめで、
自分ではない(殴った)他者を考え目が覚めるという感覚、
育ってゆく過程で、そういう時期を見そこなわないで欲しい、親は。

厳しさに感謝したものだった、我が家は母が厳しくて、父が優しかったが
父からは、かかわらないという冷淡さを感じたものだった。
今になって思えばバランスを考えてのものだったと思うけれど。
これも今頃気づくのだから、人間って、、、
自分で考えさせてその考えを尋ねる、行為を観察する。
親、先生、大人はその監督を担わなくてはならないと思う。

「今日の気になる」
優しそーな声でしゃべる(特に)男性を私は信じないby経験から(笑)

避けたくても

朝、絵本の話が出ていて「ママがおばけになっちゃった」
っていう絵本
この内容には自分も覚えがある、

小さいころお母さんが死んじゃったらどうしようって
母のちょっとした、(ただの風邪)体の不調を大げさな病気に結び付けて
不安になって、泣いて、みたいな。

すごくお手伝いする、良い子になってしまう(笑)
普段絶対しないような事をして、ついうっかり母を喜ばしたり。

でも実際、人間の母親はいつまでもいてくれないと
不都合が多い、何かあった時、おいそれとは実家に帰れないとか
相談もできないし、一緒にいろんなとこもいけない。
お母さんが死んだら赤飯炊いてお祝いしてやる
なんて言うブラックなジョークを
よく笑って聞いていてくれたものだ、(酷いなわたし)
「年取って姉が面倒見ないなら私が見るから」、実はこれが一番言いたかった。
一番言いたかったセリフで。いや率先して面倒見たいという。

何より自分の成長を見せるという張合いもなくす。
大人になってもこんな体たらく
あんたはしっかりしてるから心配してないなんて言われたって
ただ、その時良いところを見せようとしただけで
しっかりなんてしていないし、、、


本当に孤独に生きてきた、今も、愛情の度合いが違いすぎるもの
情というか、みんな情が薄いというか。
本当に大事な人(友人とか)、探したいなぁ死ぬまでには。

ただ、お化けが怖くなくなるって言うのはある。
お化けでもいいからとか、
どこか、、すぐそばにいるような、より身近になったようなそんな感覚も
あるけれど、絵本のようにあんなに小さかったら
辛すぎる、
でも本当にテレビの人が言ったように
トラウマになるくらいな子供の頃の経験が
悪いことをしない、良いほうに導くこともあるのだろうとは思う。
プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
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