仰ぐ

私のその頃でも保育園時代お昼寝タイムが有った(笑)
そうすると何とか寝付くのです、
しばらくすると私はうなされはじめ、
先生に起こされること数回。
ということは同じ夢を見てるということ?
二度ほどそんな記憶がある。

日本の地下神殿と呼ばれる地下水路みたいな施設
テレビで見たのだけれどあんな感じ
白い巨木←(枝がないし円柱型だから木ではない)が
等間隔に延々と立っている。
それからというもの夢では一度も見たことはないが。

見てうなされる
先生に「もう○○ちゃんはお昼寝しなくて良いです」と
宣言されるし
人の安息、爆睡、寝姿見つつ
喜ぶべきか悲しむべきか、決まりごとをせずとも良いと
言われる気分、決定権を持つ先生ってすごいと思った。


人間馬鹿になる稽古をしなさいというけれどなかなか出来ない。
利口がる稽古なら日々頑張ってるけど
内実が真性のアホかもって思うと、、なかなか(笑)
本物の馬鹿になれっていう教えではないけれど
勘違いしたら大変だ。
でも、人生上
何度も反省して修正して迷いを捨てて
求めるもの求められたら良いな。

刑法の文言読んだらまあ、お固い言葉の羅列で
回りくどいし日本人なのに辞書引き引きじゃないと読めやしない。
あの頃の法律なら外国語並でも仕方がないのかも。

こんなんだから古い表現堅すぎ表現は理解されない、だから
簡単な法律も知らないのじゃないかと、←自分のことです。
せっかく調べるところまで行ったところで
理解されないなら意味がない。
今の口語訳で現代版に改訂してほしい。

親がしてくれていたこと

前のblog名にこだわるクローラー?
子供時代、人生お初なことは不思議に思うことばかりで
日々積み重ねていたようだったけれど
ある程度人生に馴れが生じるとそんな疑問も少なくなってきて、
というか考えても答が出ないから。
幼稚園とかで生まれて始めてにすることが
なぜかすんなり出来てしまうとか、
方法(動作)を知ってるとか不思議だったのだけれど
今それが何だったか憶えていない。
親は、たいていのことは「大人になれば解る」だったが
聞こうと思ったら親、居ないじゃないの。
一番衝撃受けた真実みたいなものを私は抱え切れずに親に尋ねてた。
(私が)あんまりな時には、親は相当に返答、頑張った(笑)

まず女の子であるということの証明である月からの贈り物の衝撃(笑)
これを聞いたときは人生の先行きに少なからず疑心暗鬼になってしまった。
何故って、まだ大人たちは衝撃的事実を隠していないかと思って。

結局のところそれがお産だったから。洒落にならない。

日本はフランスみたいに無痛分娩が主流ではないから、
これは聞いた衝撃を緩和するための常套句「案ずるより産むが易し」だなんて
(少なくとも私にとって)何の慰めにもなってない←結果論、、
多いに騙された感のある
女性の運命を思った。
たいていの人は周囲の手厚い擁護で確かに「案ずるより産むが易し」は
正解なのだろうとは思う、
お産、
あれは励まし等が絶大な応援になるから。

この二段階の衝撃の大きさ足るや男性と比べてもどれだけの差がある?
男性なんて、何か苦しみみたいのあるの?
愉しいばかりの、身体的苦悩が殆どない(笑)
だから馬鹿げた犯罪ばかり起こす。

若いときの衝撃がこの二つ
最近まだあるんじゃないでしょうね、と訝しんでいる。

お産は母親を亡くしてからのことだったので
当日の不安を取り除く力にはならなかったけれど
病気に臆病過ぎた小学生のころ母に取り除いてもらった不安は数知れず。
すぐ調子が悪いととんでもない重病な病名で思い悩む私、病死が怖かった。
今思えばお笑い草の。調べたらヒポコンデリーとか
母は、きっぱり否定するように「有り得ない」のだと、言ったから。
母独自の信念の思いがあるようで、それがどの病に対してもなのだから。
しかも未来に渡って、ないと言う理由も述べつつ、信じてしまう子供信者(笑)
私を救う「有り得ない」という言葉。たとえ今ではその言葉が眉唾ものでも。
その当時の(特に)母親は子にとって、絶対だから。
不安なんて木っ端みじんになった。
今では思う、人はなんらかの病気になって死を迎えるのは
自然。
そしておかげで素人ながらも医学好きに。
医学書読んではお腹が痛くなる(笑)

胎児の記憶

小学生低学年くらいまでは子宮の中での胎児の記憶が有った。
もちろん言葉がないので感覚だけなのだが
今どんなに頑張ってもその頃感じていた
その感覚そのものを思い出すことはできない。
ああこれは、、、この感じは、、、と、脳内が心底懐かしがる感じ。
後に覚えた言葉で表現するなら
ほの暗いはずなのに明るいと感じる、
(胎児は母体を通じて明るさを感じ取るらしい
図書館で読んだ。。保育器の赤ちゃんに
昼夜の区別を付けるためサングラスを掛けさせる案(笑)後に却下、そりゃそうだ)

空気もなければ自分一人だけの空間なのに(今思えば)
丸まって、圧倒的な安心と温かさに包まれた感覚
と表現するべきか←これらを一瞬で感じてるのだが。

地元の内科の病院で逆子で産まれ
羊水に溺れた仮死状態で、父から聞いた話では
母が悲痛に「どうにかして」と言うのもあり急きょ
バイクを飛ばし産婆さん(ごく近くに住む)を連れてきたらしい。
産婆さんは私の足を持って逆さにして背中をバンバン叩いたのだとか
それで「オギャー」と一声(笑)、蘇生したのだそう。


この話にはのちに不思議なことがあった。
その後私は小学校にあがり
かわいい顔立ち、かなりおとなしい
先生の質問にさえ答えないと言う
女の子と同じクラスになった。
子供の世界なら当然のように、なぜ口をきかないのかといじめに遭い
可愛いというやっかみとかそのほかの感情とかで。
たまたまいじめてる子の中に以前仲の良かった子がいて「いじめるのやめてあげて」
みたいなことを言って反感を買ってしまったけれどその後、
恥ずかしくて言えない「友達になって」を
言った(笑)普通、わざわざ言わないものでしょう。
でも、おとなしいから「申請」するしかないもので。

後で知るのは、その子こそ、産婆さんの孫で。
仲良くなってずいぶんたってから汽車(通学)の中で珍しく軽快(早口)に話す、
しかも敬語抜きの怒ってるような話し方をしているので
「そんな言い方目上の人にやめたがいいんじゃない?」と注意したら、
私のおばあちゃんだと言うからびっくりで、
「○○さんとこの、、、さんね
仲良くしてあげてね」って私を覚えていた。
命を救ってくれた産婆さんに妙な形で初顔合わせ、
軽く言い合いになる前に早く紹介してほしかった。

私は、その産婆さんの孫に恩返しをするため
蘇生(させられた)したのではと今では訝るくらい(笑)

その子はどんどん快活(意外と勝ち気な性格、
言われて傷つくこと多々(笑))になって驚き。
その後結婚、おめでとう!
恩返しの昔話を架空じゃなく現実に、思い出す不思議な話で。
役目は果たしましたけど(笑)

差別はこんなに細かく世に蔓延してるのに

小さい頃を思うと何でこんな目にと言うくらい
母を亡くしてから本当に苦労した。

田舎の古い慣習と日本の男女差や年功序列、それでなくても長女次女で
差をつけられ、冷遇され、小さい頃は「何でお姉ちゃんばかりかわいがる」
直訴したこともあったくらいそれでも
父親は上を上として立てるがため、差をつけることを止めることはなかった。
母が父の出世を願って毎夜のような宴会の席でも酔っ払いの
長女崇拝、妹よりもきれいだのなんだのと、小さい頃は確かに姉はきれいだった。
清純派って感じの。
比べられてはたまらない、これで酔っ払いが嫌いになり。
処世術に傾倒する人生がここから始まった感がある、
「悔しさ」これを
あまり感じる自分ではなかったのに身につけるべくして身につけさせられたので
それは逆に今後の生き方に影響を与えた逆境の功とでも言うべきかも。

それは日本の行事、お年玉から、成人式の着物、女でも先に生まれたと、長男扱いで優遇
学校への忘れ物の届けること(弁当)私ときたらお弁当の時には母親を亡くしており
届くどころか作らねばならぬ立場だった。

母親はこんな差別はしなかった、
子育ての時誰でも思う二度目の轍を踏まぬよう私の時はより一層厳しかったが
逆に厳しさから母親の真剣さと今後の私に欠けているところを指摘する厳しさから
逆に優しさを感じた、戒めは自分が陥りそうな文言ばかりだから
良くわかってくれていた母だった。
父は一見優しい感じだが父に母親ほどの積極的な情を感じたことはなかった。
無口な親子になってしまっていたし。

思い出として取っておいたものは全部黙って捨てられたし、
今でも子供の扱いに対して間違っていたとは思っていないようだし
(俺は古いんだ、と公言して憚らず)

ただし、私の時は子育てで差別する、それは極力避けたから
子の精神面で助かった部分も多かろうが
その後の弊害も少なからずあったのは否めない。
親の私が考えて先走りばかりが過ぎて、転ばぬ先を整え過ぎていた。
「思いを押し付けるだけで考えさせること」を疎かにしたような子育てだった
「自分の時のようなことはしない」これに尽きていたような、いい面も有ったのに。
邁進してしまっていた。

桜を思いやるように、頼む

小さい頃はどの子も同じだろうが私も御多分に洩れず「かわいいかわいい」と育ち。

保育園時期は自分という一個人の中で小規模ながら第一次モテ期であった。
鼻垂れ小僧の苦手なタイプにベタベタされて登園拒否になりかけた。

後に友人がその話の真相確かめたいと
相手の子に尋ねたら「〇〇は可愛かったもん、今は、、」
席が隣合ったとき私が消しゴムで消してて「お前鼻息荒い」なんて咎められ
私は私で「あんたに言われたくない」心で思い。
その子の人生初期の大きな汚点のように話された。
この男の掌返し、肝に命ず。2年くらいの間でこうも変わる?
ま、どんなに静かに猫かぶっていようとも
ついぞ、おしとやかと言われたことは一度もなかったからか。

小学校を皮切りに子供から大人への成長の変遷をたどる頃
一時期、このように同じ男子という生物から自信を奪われた、
また、大人の扱いも容赦がない、姉との比較でますます自信をなくし。

過去のかわいいの時期は
夢、幻か

過去の栄光として過ごす。かわいいの日々よ。


長い学生の時期を不遇に育ち、少々卑屈さも加わって来て
「どないしてくれるねん」
かわいいから、かわいそうへの移行期。

何故だろう、、多分自分と向き合い自分のコンプレックスにも精通してきて
どう欠点をカバーするかにも慣れてきた二十前後の頃
また起死回生のモテ期の再来。

なしてこんなに扱いをコロコロと変えるのだろう?
これが同じ男子という生き物か、同じ私なんですけど、と毎回思う。
見てくれで態度を変えないのは女子、こちらの方がむしろ。
それでも、無自覚なのに見えないバリアが凄いと言われたり。
そうして、またやってくる
更け(老け)行く秋の夜ー旅のそーらーのーわーびしき思いに一人悩むー

もう、扱いなんぞ、どーでもいい時期になって来た?



プロフィール

CHAKOMO

Author:CHAKOMO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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