ヨガ

やっと終わった。
ネタをどうやって枯渇させずにつなごうかと、
めんどくさがりだから「あいうえお順」ってどうかな?
ってタイトル内に一文字入れて記事を書いて来て「ぱぴぷぺぽ」でようやく終わりです。
何か始めると中途半端が出来なくなってしまって。
終わりはポポの木のポでした。
いろいろ最初は飛ばした文字もあったけれど後半は頑張った。

最近肌寒いのでなかなか体重が減らない。何より代謝が下がるから。
今はとことんキープで頑張ろう。
空腹感を感じるようになってから少し体調が良い。
小さい頃 ヨガに興味を覚えてから藤本憲幸さん 
広池秋子さん等の本を読んでは、将来はヨガ教室でも始めたいと思ってたほど。
まさかこんなにいつまでもヨガブームが終わらないとは思わずにいたから
つくづく教室の夢はかなわぬとしてもヨガは続けておくべきだったと思いました。
ヨガだけに留まらず(ヨガ発祥の地)インドまで大好きになりましたもん。
映画では「インドへの道」
本ではパラマハンサ・ヨガナンダ著書の「あるヨギの自叙伝」これは愛読書。
ヨガはホントに終わりは、すがすがしい気分になりますから。
今じゃインストラクターなんてしゃれた名前になっちゃって。

食べ過ぎない。呼吸法。ゆっくり無理せず伸ばす動き(ポーズ)瞑想。
健康法は基本「ヨガ」で行こうと思っているから今後もがんばろっと。

ポポの実その味

我が故郷には何とも不思議な果物の木が有った。
ネーミングからしてふざけている。
ポポだなんて。ポーポーとも呼ばれているらしいからいよいよもってふざけている。
北米が原産らしい。
なーんだ日本人の命名じゃないんだそれなら納得。

寒さに強い樹木らしい。
我が故郷は、もっとも冬はそれなりに厳寒、
夏はそれなりに酷暑と言う、気候特色にも関わらず良く育つわけです。
大きさは、大きな長っぽそい少しつぶれたジャガイモくらい。
果実が熟すと勝手に落っこちてきます。(食べ頃です)
皮をむいて見ますと黄色いペースト状の果実、マンゴーみたいな感じ?味は違いますけど。

ここからの感想はあくまでも私個人の感想です。
香りはムッとする感じで嫌いでした。
ポポの味は、大好きなマンゴーとは違うと思う、くせの有るお味。
もしマンゴーをベースにするならマンゴーから
いろんな味を足したり引いたりしないといけません。
子供の頃はバナナに牛乳と卵黄を足したような味って思ってた。
香りがそれを否定する。

マンゴーちゃんが万人向きなら、ポポちゃんは、果物界の珍味?
おいしく食べられる人も多いらしいけれど、ゴメン、ポポちゃん私はちょっと
 そうだお菓子とかには良いかも?
栄養は素晴らしそうに感じる。卵黄とかは入ってないのにね。
今の若い世代の人達はおいしいと言う人が多いと言う意見が有るみたいだけど、年代では変わらないと思う。
子供の頃嫌いだったから今食べたら美味しい「大人の味」だったりするのかも。
ふ~んそれ嫌いなの子供だね~みたいな。ぷんぷん。
そしたら万人向けも夢じゃないがんばれポポちゃん。
見た目は不細工だけどネーミングはイケてるよ。

実家の、果実は虫達の発生源にもなる(食べ手があまりいないので落ち放題)
と言うことで今はもうないのです。
アメリカでは花の観賞用(紫色の花)にって書いてあったけれど。
果実があだになるなんて。
もっとも、果実の印象が強すぎて花の咲いてるところを見たことなかった。
果実同様花も個性的なんですね。

もったいないとの声は主人ですが、実は私も同意見です。
話のタネにつきない果物ですから。
そういえばタネも入ってますいっぱい。
(画像なしでどこまで表現できるかを目指しています。是非いつかは現物をご試食ください)
私ももう一回食べて確認したい。おいしいと思うかどうか。食べたらきっと話の種になります。

犯罪抑止

このところ日本では死刑執行の話題が出ています。
死刑執行数が異例の多さで驚くばかりです。
日本人がどんなに不健康な土壌で暮らしているかが
世界中に知れ渡ると言う点では死刑囚の多さは日本の恥を
(先進国なのに(精神面での)途上国の様な(思想環境)が根底にあると)
発表している様なものだと思います。
自殺者も増加の一途を辿っているところでは一般の人でも
「死」というテーマでは「身近に悩まされる切実さが有る」事でもわかっていると思います。

どこかに犯罪者を、犯罪に駆り立てている要素が有るのかもしれません。
捕まれば、屋根のある部屋、食事付き。
世間も暮らしにくいならなおさら。

病んだ状態にいる犯人が時々そんな感想を述べています。
死ぬことより生きることの方が辛いのでは?
と言う思いはたいていの人が(スランプの時等、)経験していると思います。
まったく思わない人もいるのでしょうが。
犯罪に移行するかどうかは環境、状況、
考え方の個人差などで決まって来るのではないかと思います。
悩みの、長い短いの期間の差も決め手の一つになるのかもしれません。
「この先犯罪を起こすことはないと思う」と
何となく幼い頃に身についてるようで自分はラッキーと思
っていたりする人もいるのではないかと思います。

それでも、そこまでに至ってしまった死刑執行は
感情論のようにも取れることもあると思います
犯人に対しての憎しみは当たり前の心理なので当然だとも思えるときもあります。



病気なのではないのか、としか思えない様な犯人もいたと思う。
だから「刑」が全く身にしみていない事も。
反省できてない犯人に死刑。
結局見せしめ、かと思ってしまう。
今後(未来)冤罪とかも含めて。
納得しているのが傍ばかりでは犯罪抑止にならないと思うのですが。
本当に犯罪者が反省するような罰になっているのでしょうか?
反省につながる罰。
この罰の方が犯罪者の身に堪えなければ意味がないのでしょう。
とても簡単に考え付くことではない難しいものが有ると思います。
死刑という結果より、前段階にも問題(暮らしやすさや人らしいつながりとか)が有ると思います。

死刑執行は神に代わって行うくらいの判断が居ると思うのです。
それは十分考えての事でしょうが。
あくまでも数への驚きのみです。
見たまま聞いたままの未熟考な単なる感想ですが。

てつぼう

小さい頃はなんであんなに身軽にくるくる鉄棒が出来たんだろう?
前まわり、後まわり。
足掛け周り。
座って回る。ほかにも…。
えびぞって回るこれら全部の前転と後転をやって。
他の回り方はないかと研究したほど。
何も発見できなかったけど。頭ぶつけただけで…(笑)
さすがに大車輪だけはできなかった。
「手を離したら飛んで行きそう」ってクラスの男子の大車輪を見て思ってた。
それ以外は殆ど全部出来たのに。

今は前に回るだけで精一杯「ドタッ」って感じで。
気分もよろしくない何か目が回るし。
やっぱりずっと運動する習慣は、
いくら旦那さんがスポーツが二の次論者でも続けておくべきでした。
主人は取り立ててやらなくても健康だから私とは違う。
子供達には口を酸っぱくして言っています。
「環境の変化で運動を忘れるな」と。
「車社会の移動手段はみんな車になって足腰が弱くなるだろう」って予想を立ててた人の言うことを
「自分が?まさか」って笑って聞いていたのに本当になってしまいました。

今はどこかに運動を取り入れなければいけなくなって
生活自体が運動の様だった昔とはかけ離れて不健康です。
家の(義母)おばあちゃんのように、今の歳まで(米寿)、
なんとか自力で頑張れる体力なんて私はそこまでの自信はない。
家はおばあちゃんが校長先生(生活態度)みたいで、けむたい
お灸をすえたりしてるともっと煙たい
毎日学校で暮らしている気分だけれど、見習えるところは見習ってと思っています。
時々早退してうさばらし。

「鼻炎」不快頂点の荒療治

もう何十年も前、私が事務員として仕事をしていた時
生まれて初めてアレルギー性鼻炎になった。
それはそれは激しいくしゃみの連発。
止まったとしてもまた始まっての繰り返し。
周囲の人もうるさくて迷惑かも知れないが、当の本人が一番の大迷惑。
止まらないくしゃみに心の中は不愉快のド頂点。
見かねた部長(女性)が自分の飲んでいると言う鼻炎の薬をくれた。

本当は他人の(たぶん医師に処方されたもの)
薬を飲んではいけないのだとは分かっていても
「もしかするとこのくしゃみが止まるかも」と、
藁にもすがる思いだったので、家へ帰ってから飲んでみた。

「こりゃ死んだね」と思った。


寝ても、、寝ても、、寝足りない 仕事中も眠い。
逆にくしゃみが目覚まし代わりに起こしてくれてる始末で。
3日はそんな感じで明け暮れた。
人の薬なんて絶対飲んじゃダメと教訓。
それにくしゃみは相も変わらずだし。
ある日私はお風呂に入って始まったくしゃみにここぞとばかりに荒療治を決行。

自分の「鼻も、もげよ!」とばかりに右へ左へ圧すは引くはの大騒ぎをやって
ひとしきりくしゃみをした。
またくしゃみが始まるとこれでもかと繰り返す。
「あれっ?くしゃみが出てない、待てよ?一晩寝たら再発してがっかり」なんてこともあるし。
ところがあの日を境に、もう20年以上
今でも鼻炎で苦しむことが有りません。
なにが効いたのだろう?
「荒療治が効いた」、に決まってる。
でも、私なりの用法容量が有ったし。
どうかしたら、鼻血が出ただけってことになってたかもしれないけど。 

勉強しなさい

学生時代の心境。
子供の頃の幸せのピークは学校という施設への入学と共に終わった。
人生のピークは幼稚園。(byもう中学生
遊びという項目ではつまらない思いはしなかった分、
勉学がメインになって来る小中学校はまるで火が消えたよう。
体育、図工、辛うじて理科、国語、以外は全くの劣等生になってしまった。
家に帰ると成績の振るわない私に対して母ばかりか姉までもに
「勉強しなさい」「宿題は済んだの?」の言葉を毎日のように浴びせられていた。
私がようやく勉学に本腰を入れ出したのは、高校生となり、自覚を持たされてから。
「勉強しなさい」と言う言葉は皮肉な事に、言われなくなって初めて生きてくるようだ。 

現に私の子供にこのセリフはほとんど言っていない。
2人とも自主的に勉強してくれた。
「言われないと不安になる」のだと言っている。
同じDNAだから同じ発想をしただけかもしれないが家の場合はうまく行った。

私も、母に言われなくなって不安になって来るものですから。
遅い気付きです。
少しでも成績の上がった成績表を見せてあげたかったと。
母は良かれと思って言ってくれていた。
口やかましさを思い出すたび母の愛情が身にしみます。
後悔しています。
素直に聞けなかったこと。

きっと目標達成出来る!

最近やっと空腹感に慣れてきたかも。
時に飢餓感で「栄養をとらないと!」と思うのだけれど。
そんな時は鏡を見に行って「いや足りてる」と確認して来たり。
飢餓感は大げさかな、殆ど3食、食べているし。
今までのだらだら喰いのくせは、直してしまいたい。
「空腹ってな~に?」って感じだったから。
けれども、胃の中に食べ物の入ってくるものが減ると
「こりゃ食糧危機が来た」
と勝手に省エネモードに切り替わる様な気がする。
やせたい人には嫌なモードです。
代謝は下がるは内臓は休むは。

だけどそれでも、
また体重を減らしてもよい時期に入って来るからひたすら待つ。
ここのところマイナス1をキープしたままで動きがない。
まあ増えないだけ、ましだと思って頑張ろう。
若い頃なんて減らそうと思えば2~3キロくらいすぐ減らせていたのに。
デーンの感じを、ちょこんにするにはまだまだです。
ちょこんはまず無いわ。

近所の駄菓子屋さん

子供のころの家の側には自転車も楽に通れるような小道が有った。
小道を通って歩いて3分くらいの所に小さな駄菓子屋さんが有った。
買い物がしたくて奥にいる人を呼ぶと、おっとりした感じの小さな、おばあちゃんが出て来た。
良くお相撲のテレビ番組を見ているらしい音が聞こえた。
たまに、なかなか出てこない時もあったがほんの1~2分
見せ場の場面だったのだろう。
木枠のガラス蓋を上に上げ、10円で一個1円~5円の自分の好きな、キャラメル
 すずめのたまご←(ピーナッツを丸い醤油煎餅でホールしたお菓子
似た形といえばチョコボール)
や何かを選んで小さな紙袋に入れてもらってた。
小学生の頃のおこずかいは1日、10円から最高50円へと変遷。
(年々値上げしてもらうから)くらいまでだったと思う。
中でも好きだったのがベビースターラーメンとチロルチョコレート。
これはおやつの中でも高級ブランド
週に何度も通ってもいつも買えたわけではなかった。
私はベビースターラーメンの中にピーナッツを入れて食べたのがおいしかったことや、
そしてラーメン同士がくっついていると、
とても得した気分になるとかの内容を大人になって懐かしく駄菓子屋の事も書きたかったので、
ベビースターラーメンの会社にはがきを送ったことが有った。
おやつカンパニーからのお礼のお手紙の中にはベビーちゃんシールが入っていた。

手紙を出した後ピーナッツ入りラーメンも出来て今は売ってあるようです。
私の好みの味とは微妙に違うから結局自分で(ピーナッツ)混ぜてしまうけど。
今はいろんなものが有って手広くなりました。


駄菓子屋も、もう跡形もなく只、拡張された道路の「この辺りに有ったな」
と今は懐かしく思いを馳せるばかりです。

海をずっとずっと見詰め続けて

童謡 「あめふりくまのこ」 鶴見正夫作詞、湯山昭作曲 

おやまにあめがふりました…いたずら くまの こ かけきて
そうっと のぞいて みてました さかなが いるかと みてました
なんにも いないと くまの こは おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました さかなを まちまち みてました…
                               (一部抜粋)

この歌かわいらしくてとっても人気のある歌ですよね。
メロディも歌詞もとても良い。
今北極の白くまさんたちに絶滅の危機が。(NHKの番組)
地球温暖化の為、氷が溶け、白くまさんたちは、餌を捕える事が出来ない。
白くまさんがなすすべもなく海をずっと見詰め続けているのです。
この童謡を思い出して泣きそうになりました。
温暖化のスピードは予想より早く進みつつあるようです。
人間にとっての便利な生活のつけは
人間の仲間の動物たち一番にしわ寄せとして影響を及ぼしているようです。
何とか対策を打てる人間が一番環境を破壊してる張本人な上
最後まで生き延びそうな動物。

私に出来ることはせめて車での外出を控えるくらい。
走行距離が「リッター10Kは酷すぎるのでは?」と言ったら
長距離を走ったらもっと走行距離が延びるんだとか。
この車の構造の矛盾ったら無い。
環境を考えた車、と言っているのに走りまわったら意味ないじゃない。
例えがセコすぎました。
エコカー。電気自動車。ソーラーシステム。
国と企業は早く対策を打って。
資本主義社会の弊害も出て来ている。
大きな力のある国に限って欲張りで無関心。

温暖化を否定する人たちがいる
米国ドナルド
なるほなるほど
納得納得
毎年水没しかけても?
不感症なのかな?






           達成

ゾーッとしたこと

昔おてんばだった私は、虫なんか平気で捕まえたり触ったり出来た。
あれは小学生の時だったかな?
家の庭にかなりの大きさのカマキリが,葉っぱにいた。
ちょっかいを出したくなった私は葉っぱをカマキリの前でひらひらさせて見た。
そうしたら、ぎょろっと、こっちを見て両手のカマを構える(しゃれ?)のと同時に、
何か「ジーッ」という音まで聞こえた気がした。
威嚇する音?ゆらゆらしながら(酔拳みたい)
カマキリの立てた音で有ろうが無かろうが、私は未だにそう思い込んでいる。
この虫は、人間にだって向かってくる気満々なんだ!
逃げないという反応をするばかりか、戦いのそれも怒りの感情を持っているようなカマキリ。

「ゾ ゾーッ!」一気に立つ鳥肌。

それからというものカマキリは大嫌いになった。
だいたい虫が苦手でないことが珍しかった。
あまりに周りの人たちの「虫発生時」の絶叫を聞くうちに他の虫達も、大半が苦手になりました。
あんまり騒がれると「そんなに~?なんで~?」が「やっぱ気持ち悪いのかも」、ってなって来るから。
いつだったかTVでダウンタウンの松ちゃんが「だいたい、手(足なんだろうけど)で有るはずの所がカマて有るかどんだけ邪悪やねん」って言っているのを聞いた時、全くだ!と思った。
人間もあまりに残虐性のある人の手が、カマに突然変異したりしないのかな?
そして喜んだりして「もう凶器いらないじゃん」って。

前も食べ物の危機的話を書いてみたけど武田泰淳の「ひかりごけ」は衝撃的内容。
食料のない究極の窮地に立たされた人間の心理と行動。
ここに共通点、カマキリも同じ様な事をする。
自分は、Mなんぞじゃ決して無いのでSっぽい生き物とか人とか
苦手で。
プロフィール

CHAMOKO

Author:CHAMOKO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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