グーグーだって猫である

「グーグーだって猫である」この映画ポップな感じの題とは違って案外内容は神妙なものだった。

たしかによく考えてみれば、グーグーは紛れもない猫なのに猫じゃないの?って表題だから。

この映画で知らなかった大島弓子さんの近況を知るところとなり、近くもないか
コミック「サバの夏が来た」のサバ(猫の名前)が
あのサバが死んでしまう場面から始まるのでいきなり悲しいのだ。

つい最近猫雑誌で、可愛い猫の写真と
「いつの間にか私より年をとってしまってたんだね」みたいなフレーズを見たとき
なんだかとても心に突き刺さる物が有った。猫の表情が相乗効果で何とも悲しい気持ちに。
映画の中でも、もうすでに同じフレーズが使って有って。

もとより猫の年齢はなかなか見た目では分かりにくく。
いつの間にか自分より年上になっていて、、
鈍感。そうやって飼っていた猫が、飼っていたうさぎが死んでいったのに。
(飼ってた犬ジョンコピーも)

私も、子供のころ飼っていたうさぎのチロに全く同じ思いを感じたことがあった。
チロがいつの間にか年をとって死んでしまったのではなく
それ以前にチロが生んだ子供もろとも野犬に殺されてしまったのだけれど。
(田舎では昔うさぎは外で飼われていたりして)

その後何度かうさぎを飼ったが
チロはおとなしく撫でられているし、生まれた子達たちにも親らしく優しく愛情を注いでいた。
(チロだけが子供も産んだのだけど)
なんでも好き嫌いなく食べるチロのような(表現がうまく浮かばないけどもっと良い特徴(笑)
うさぎには二度と再び巡り合わないのだ。そう、比べてはいけないのだけど。

だから、「もこだってうさぎである」である。
映画の中でグーグーに謝る「ごめんね」ってシーンでは共感した。
比べたら今いる子が可哀そうだと

同じ思いを、山口百恵のイミテーションゴールドの歌詞までも思い出して
♪…が違う…違う、(いっぱい違う)ごめんね昔(去年)の人とまた比べている~♪
これじゃまるで恋人だな、って思った次第でして。

映画のシーン中の深刻さを加瀬亮が、森三中と上野樹里がコミカルにしてて心情的に救われる。


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