神社をよく知らない不敬と不遜

たとえば、神社で犬を連れての参拝、事前に神社に尋ねる。
お稲荷さんなどは、禁止と書いてある神社が多い。
賽銭箱にお金を投げ入れるのは不敬にあたる。
お願い事を聞いてもらいに参詣しておきながら、神様を前にお金を投げて渡してどうする。
人にとって貴重なものを手渡すことでお願い事を聞いてもらうようになっているのだから
本来「願は掛けない」人もいる、厳かに感謝の念を表しに行くだけの人も。
そっと滑らすようにお金を放す人を見ると、これぞお手本と思ってしまう。
他にはお守りをたくさん買うので少しまけてくれとか、これはもう無知以外の何物でもない。
海外からの観光客ならいざしらず。

お守り等の売り上げは、まず売り上げと言うものかという疑問。浄財と言う。
わたしは、神職さんや巫女さんらはお祈りに来られた方と神様との
仲介のような特別な存在と考えている。
神社とは参拝者と神様との会話の場、(人)としての存在を極力消していると
だからサービス的笑顔の巫女さんはあまりみたことがない。

お守りを買うとか買わないとかは
神様に対する購入者の考え方であって、神社の利益ではなく参拝者の利益
そこでの値切りは神様に直接値切ることを頼んでいると考えてよい。
とんでもない不敬にあたる。不敬罪と思う。今では無い罪、
復活を望む(笑)

お守り売り場で有ろうと、そこで発する声は皆、神に対しての発言、慎まなければならない。
厳かでなくてはならない場所で
買った破魔矢に袋をつけろだの不服、苦情を申すなど、
神社へ来て難癖をつけること自体、ここへに何をしに来たのだという疑問
どこかのスーパーへ買い物に来たと勘違いした参拝者、
神社はサービス業ではない。

神社へのお参りが形骸化したのでは外国の観光客らと何ら変わりがない。

神様とはおひげを生やしたおじいさんではない、擬人化して現すことをしただけで
大宇宙のエネルギー、大宇宙の法則、無視したり無知のために無理解とか
必ず失敗するのだから存在を否定できるわけがない。


プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







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