昔々のさんざんなお産

初投票でまごついて「こんなのが来る」
と言われた者であるけど

ここに来て(市内)きついことを言う女性は数知れず。
お産入院時も酷かった。

その当時、市民病院に強烈な個性の名物婦長が居た。
妊婦教室?だったっけの時も厳しくて、他の妊婦さんの間でも噂になっていた。
「ここで生まなくてもいいんですよ」
「古い施設だし」は建前、
妊婦さんが増えてもお客さんじゃないから一向に給与に関係しない。

よせばいいのに本当の酷さを知らないからずっと変えずに「そこ」
破水して来院したというのについの間際まで帰れと言い続けていて
その後ほとんどお腹がぺちゃんこくらい破水した。

主人は何も聞いていないのでそのままお産に入ってるとも知らず
連絡すら取らず他の看護師さんと
引き継ぎ

ただひたすらひどい痛みで壮絶だった。
励ます声が有ったらどんなに違っていたか深夜「痛い痛い」と苦しむ私に
「怖い」とか言って居なくなった、その婦長。
一人痛みと戦っていた。。土曜日から日曜日にかけてのお産。
ナースコールボタンも知らされていなかったのと、あんなこと言ってた人が来るか?
とにかくナース室、人けも まばらな早朝

誰も来ない産室。
また運の悪いことに とり上げ担当者は、またあの名物婦長。
忘れまくってた、いよいよ生まれる頃、寝耳に水の主人に連絡するときも、
義母がわざわざ主人に変わるので時間がかかり
義母に対し電話の子機片手に「(主人に)代わってんじゃない!」とののしり

八つ当たり
こちらを見ながら助手相手にこんなのが親になるんだからみたいな言葉を浴びせられた。
命の誕生に関わった人に感謝しなければならないと思う反面
さんざんなお産だった。名前も一生忘れない。

今思えば訴えてもよいくらいだった。
「感謝」が、かろうじて勝った 生まれて来てくれて嬉しかったから。

これまでの度重なる(市民病院は評判最悪ですから)、不手際を棚に上げ(まだ書いていないが、有る)
「これは異常分娩じゃないからね!」と釘をさす。

ずっとずっと書かないできたこと、ずいぶん経ったし。もういいかな

歳よりも幼く見えるだけでこの言われよう。
後に保健所に相談したら「あの人はあぎゃん有るもんねえ~」
(訳  あの人はそう言った性質だもんね)  冗談じゃない!

聞いて 少しだけ気は晴れたが、ショックでその後二人目は間が開いた程。
さすがに2度目は、そこの病院の産科は利用しなかったけど。
「リスクが無いのに何故大きいとこに行くの」がきっかけ。

福岡にいる娘が言う、離れてみて分かる本の女性は気が強い(笑)
一見おとなしそうに見えても、外柔内剛
連鎖的に強い女が作られてく。

男は守られてるし、そうでないと生きられない。





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