エコなので余計寒い感じがしてしまう

最近の家電達がうるさい。何がって、
「チン」して取りださないでいると「忘れているのかなあ」?と言ってくる。
しかも少し悲しそうなトーン
これは、まだ良いとしてもまず、「角皿は使わないでくださいね」これは温めだと毎回言う。
再加熱できますよとも言うし、もっともっと使ってアピールも。
最後に「また使ってくださいね」って「ピポピポりん♪」みたいな
短いエンディング曲まで伴っているんだから、壮大だな。
オープニング曲が無くて本当に良かった。いちいちだから。

使うときしか使わないのに何言ってるんだろう、しかも忘れた頃に
3分くらい後だから唐突に感じるし、間も悪い。

(取りだし忘れを教える)これは良いと思う、とても。

エアコンもそう、まず、しばらく使うと
「今日の電気代」を言いまして、昨日の電気代を超えると
「昨日の電気代を超えました」と言い、
消すと「今日の電気代は90円でした」とか(本当に?)
毎回言うのだから、何だか嫌になって来る。
お客さんが居るとき気を遣わせるじゃないのと思う。
ここまで来るとさすがに、寒いギャグ言うツッコミ待ちの漫才かと思う。
こっちは面白くもないからツッコミません。

とうとうお部屋の空間までもを機械達が占領しだしたってこと
スマホはしゃべるAIは本当に流暢、
今に人間より自己主張し出すかも知れません。

ネタバレ注意
映画「世界にひとつの彼女」男性にしてはちょっと臆病、知的で繊細な
(ホアキン・フェニックス)演じる主人公
AIであり実際には存在しない彼女に恋をして
(ルーニー・マーラ)付き合ってる元の彼女❓とは別れることになる。
AIだから理想的な彼女をピックアップ出来る。
しかも仮想現実(実体はないが)心みたいなもんだから
次第に相手をぞっこんにさせるわけだけど
でも、処理能力も高くて実はAIの彼女は(心は)不倫してたって現実、
だって処理能力その数もハンパなくて、、
ここは笑いどころかそれともホラー?
始まりは妄想みたいなものだったろうけれど
虚しさ感も吹き飛ぶくらい本気だったでしょうに
複雑な気分、割り切ることができれば幸せ。
心が強くなければ捉えようによってはマイナス❓
こんなのものも将来絶対に違う形にせよ実現するだろう。

理想的な彼女だっただけにそのダメージ足るや
「ご愁傷様です」といいたい(笑)
(まあ、この映画言いたいことはそこではないのでしょうが)
映画ではない現実ではこの主人公、結局共演したルーニー・マーラと結婚したんでしょう?
男性の足が臭くても生身の人間で本当に良かった。
ちょっとショック。

エアコンの無粋なおしゃべりは本当に要らない、取説読んでなんとかしよう。
車はたまに喋るけどいつも無口な分信頼できる奴。
「急発進です!」     でも、やってしまった後言うのはずるい、
私にだってわかるもん。つまりは反省を促す車ってことだけど。
本車線入りのときはどうしてもそうなるときが、
でも、2回くらい(笑)3❓
早く出ないと逆に危なくなるから。

鈍感になる方が楽

小さい頃から、ど緊張、恐怖、不安感強し。

これらは全部人生経験積み上げることで軽減されて行ったと思う。
トイレに一人でいけないとか大人になっても続いてる人はいないように。
お化けが怖いなんて言わなくなったし(笑)
それでも
感涙しても、悲しくても泣く、もちろん笑うし、喜び、怒りもするが。

緊張の場面であろうと皆は案外悠然としてるときも心が揺れ動いて。
だから早くから不動の精神に憧れ落ち着いた人を目指そうとしたのだろう。
断然、人と望むものが違っている。
細い神経の一本でも切れてくれればこんなに感じなくても良いのでは
とよく思ったもので。

年を取ることで解消するかと思いきや年を取ると涙もろくなるとか
まさに今がその時期なのか涙がこぼれ出すと
ポロポロポロポロ何なら瞑想(どうやら迷走)中まで手の内に涙がポタポタ
数えて
6ポタ
この現象には驚くばかり、
どれだけの量の涙が出てこれるのか挑戦してやろうかと、
号泣です。
もう雑念意外の何物でもない(笑)
心が澄んで透明になるのならいくらでも泣いていいが
どうにもわからない現象。
ところが切替だけは早くなったようで泣きの真っただ中でも
面白いことが起こったら泣きながらでも笑い出す(危)
いつのまにかゲラゲラ笑いにすり代わってる(超危険)
悲しみとかに浸かり込まないで切り替えられるだけ随分マシにはなったが。

どういう意味?

What do you mean?= わ どういういみ ? だいたい同じ発音(笑)



言葉の多様性
尾崎豊が好きなわけではないが、引用。
「盗んだバイクで走り出す」という一つの言葉
一つの単語として定着しつつ有るのか、
盗んだバイクで走り出す=(意味)不良と化した者のさらなる飛躍
(勝手に意味付け)
良いか悪いかは別にして、羽ばたく

「かわいい」という言葉
小さい頃は誰にもこう言われて育って相当に得意になる一時期が有る。
目まぐるしい成長過程に有る成長期の十代は教育機関の命により
体型、髪型、(制服)衣装等の理想的基準が決まっていて
それらが合わないとなるとジェットコースター並に評価が
変遷して精神的ダメージを受ける。←このコースも避けられない。

人に対してよりも動物の方が俄然多い「かわいい」の言葉を使っていたが
しかしこの年になって他人が言われているのを聞いて嫉妬していた言葉も、
我が子はしかり、
他人に対してもかわいいと思う時がある。
ひしと感じてからしばし
「かわいい」とはなんぞや
と思ってしまうのだ。
その人間そのもの良い悪い全部引っくるめてすべてが「かわいい」とは。

決してその佇まいに、
今その時点では(かわいいのだが)かわいいという
オーラを発していないのにもかかわらず
とにもかくにも存在そのものが「かわいい」のだ (泣) 
 (ああ、何を言ってるのだろう伝わらない)
自分の中での「かわいい」の定義がわからなくなってきた。

性格、人格に対しても、かわいいと表現出来るとは。
年取って、真っすぐな美しき瞳が育ちつつ有るのだろうか。



心に刻みこむ

落ち着いて行く年代になりつつある前から、かもしだす印象と違って
落ち着いた性格だと言われていた。
また外見上は童顔チックでも見た目と正反対で考え方が老けている
と言われていた。
母親にすら「○○○(←私の名)はしっかりしてるから心配いらない」と
たかだか15歳にして言わすなんて(そしてその母親の意見は大間違いだけれど)
だから未だに童顔の(面影へと変わりつつあるが)
片鱗を辛抱強く残しつつ意味もなく何を待つともなく待つのだろうか。


田舎に住んでいた16歳くらいまでは短い期間にせよ同級生等の
私への印象の適切で的確だったことよ、自分でも気がつかない指摘は
新鮮だったし、快適感すら覚えたものだった。
それが少し耳の痛いものでもそれはそれで感心するほどの。

🐻本市内に住むようになって(そのようなことを)人格的なことに言及するほど
くだけた付き合いはなく、感覚的な違い(それを口にするかしないかの差かもしれないが)
に物足りなさを感じたりした、もっと地元の女性←(限定)達は情緒的だったように思う。

その上を行く人物はというといまは亡き人生の師匠とでも言いますか
見抜かれて驚いた、ただ座って普通の話方でぽつりぽつり話しただけで
あなたは何を(生き)急いでいるのか、とか
あなたは悪くなりたいのか、、
これなんか究極だった、これから起こるであろうたくさんの
不安要素を(その時お産を控えていて)話していただけなのに。
確かに沢山のそれらを想定していれば、それになりたいの?と自分でも思った。

占い師ならば「あなたの性格判断」で
「人間だもの」で誰にでも当てはまりそうな診断ではなく
もうもはや、その人の前だと全部見抜かれてしまう、
何処まで(私の中身がわかるのか)問答したくなるくらい。
説明が難しくわかってもらえないものへの問いにも
答の方が先に出てくるほど。

霊的な目(霊視とは少しニュアンスの違うもちろんその能力は有る)
と感じさせる誰よりも神的な。
だから、もう二度と出会えるような人ではないと思う。
行などに寄るものではない元々自然に備わっていたのでは?
と思わせるような人間味のある優しげな(もしや見せていた?)指導者だった。







人生スケジュール自分では組めない

以前なら「やりたいかも」と気持ちがよぎって、
さてどうしますかと選択肢として提示されても
「あ、やっぱりやめておく」定番の台詞だった、
でも、最近そんなことを言わなくなった気がする、
引っ越して体調が変わったということもあるが
以前の分を取り戻す勢いで行動的になっているようだ。
体調の悪さが体質では無かったことを引っ越して始めて知るとは、
何たる労災(笑)

元気になったが幸いしてか災いしてか

こんな歳になってから主人の仕事の責任も
後々半分担うかと思うと肩の荷が重い。
縮小も視野に畳むも視野に(笑)(怒られる)
あとどのくらいド真面目に考えないで居ていいか、←今年までか
巻き込まれてる、組み込まれてる家族は逃げ腰でも逃げられず
考えることが普通楽になるべき年代に
ボケ行く頭フル回転で考えなければならない
成り行き任せにするしかないだろう、成るようになると、
自分たちには手に負えない分野、
なぜか人並み以上に爆走出来るし、
死なないと思ってる節がある?
主人に半分感心しつつまた呆れつつ
それでもいつかは来る、
体力気力の限界、そんな日が迫りつつあるのだから、

残った者は慣れない分歯車がなかなか噛み合わない車軸で
最善を模索せねばならず
どうしたものだろう思案に暮れる。

表現難し、、つくづく思う

嫌な予感はしてましたが
映画「ユリゴコロ」を観た。
あまりに 沼田まほかる
原作と違う。

心情表現が秀逸な作品なのに
作中の台詞の違うことよ、
作家になりかわって別のことを訴える勢い。

借りてきたDVDも映像が流れてるだけでもうもはや観てもいない、
小説からも聞いた覚えも感じた覚えもない映画が
今クライマックスのようだ。

映画だけを観た人は衝撃シーンだけに気を取られて
この方が面白いとさえ思うかもしれない。
だから衝撃的映画との印象ばかり目立つ評価。
息子が怒り狂って絶叫するような作品じゃ無いし、母親は整形もしない。

とても温かい感覚に包まれて終わるはずが。

DVD、、、なんか終わったみたい。

ネタバレ(小説の方)
生まれ付きのようにおかしな感覚をもって生まれ来る人間
それはいろいろあるでしょう
想像してもそういうふうに生まれたらこわいだろう。
この場合最悪で殺人にたいし罪の意識が
欠落している少女(美紗子)
心の闇の暗黒の中にあってもそれでも人は成長して行く。
一般的でない人の内容で、しかも特殊な人物の。

要約して書くと
冒頭の台詞「私のように人を殺しても何とも思わない人間は
どこか他人と脳のありようが違うのか
人はホルモンなどの影響でいろんな感情を有す、
ならば将来薬でこんな自分を治すことができるのでは? 
ならば私も飲んでみたい」
      ↑
台詞で、他人には言えそうもない自分でコントロール出来ない
感覚に戸惑っていることが解る。
そのようなことを書き記したノート。

ここから、感想。ネタバレ
美紗子は実は感受性がとても鋭く、満たされるべき心が
空っぽなのでは無かろうか幼い頃に満たしておくべき
愛のようなものを全く受け取れていないで。

もしくは愛だと感じられずにいる、だから分からない、
殺人を犯しながらも成長の過程で人(ワタシ)対人(アナタ)
、二人称(アナタ)と呼ぶ人が出来るようになることにより
美紗子は変わっていく
空っぽを満たした人として、
そしてアナタと息子亮介、千絵を守るようにまでなるのだから。
しかも感情を持った、おかしそうに笑う人にまで。



作品の映画化は
人間が闇として持つ魑魅魍魎さを現す力量がいるのだから。
相当な心理学的、病理学的見地に立ってみるべきで
複雑な心理、病的部分がただの阿鼻叫喚作風にて終始して、
観てる者はそこに捕われてのみ終わる。
私個人の思い入れたっぷりの小説の世界観が、、
全ての興味になんて合わせられないのだ、としたら違いすぎる。

病んだ現代にマッチしているし今まさに課題でもある
白昼夢を生きてるような現代社会
読み解くほどに感受性と真理とを取り戻せるヒントになるようで。

アルバム捜索



今回も実家でいろいろとあった、事象に意味があるのなら
昔からの癖のように今起こった事象を黙って観察し考察し
何を教えようとしているのか読み取って行きたい。
尊敬する今は亡き支部長の教え
高僧のような哲学者のような樹木希林さんの書、
心の中で同胞と思う人たちや、
または逆に試練のように
突っ掛かって来る、出来事や人たちすべての事象に意味がある

喜怒哀楽の極まった肝腎な時には必ずミャーと鳴いて
「はっ」とさせるがたいていが、餌欲しさで(笑)
タイミングが猫と被るなんて。

昨日実家に帰って母親のアルバムを探したら
あまりにぞんざいな扱われようで、
なかなか見つからない
姉はそんなものの存在すら知らないと言い
父までが家を改築したとき
どこいったかわからんようになってるとか簡単に言う
ついに管理場所に住まう姉と父に
激怒、
泣いて抗議した。
母が父や姉のためにどれだけの世話を焼いてきたかを忘れたのかと。

姉など母には心配のかけ通しであったにもかかわらず、
いろいろと忘れてしまっていて、話が噛み合わない。
父は姉を目に入れても痛くないほどに可愛がり甘やかし
長男がよく陥りがちに君臨させてしまった姉。
姉もかわいそうではあるが。
どこの父親も往々にして子育てを失敗させる方に加勢する。
子育てには緊張感や晴れがましさ畏怖のようなものがないとだめと思う。
人の人生がかかっているのだから。

それでも何とか一冊のアルバムを探し出して持ち帰ることができた。
姉の「早く返してよ」のことばでまた言い争いになりかける、
アルバムはなくなったも同然のそれ以前に
無いと言っていてひどい扱われようだった。
「無いと思っとった、有ったったいねェ」と始めてみるように
しみじみと感心仕切りにアルバムを眺めていたことから
これを見付ける以前
アルバムになど微塵の大切さを感じていなかったのがわかった。

アルバムに写る母は事務所の事務仕事中のものだったり
ワンピース姿や、ボディコンかと思わすくらい、痩せているし(笑)
ウエストのくびれたドレスみたいな、この時代になんておしゃれな、
自分が絶対にしないファッション、
母は小さい人だったが小さい人というイメージがなかった。
お産の後のふくよかさの維持(笑)それに面倒見のよさや
情の深さ、行動力、正義感、社交性、コミュニケーションのうまさ、
どれをとっても私が足元にも及ばないから、大きく感じるのだろう。
父に言わせると母は父親似だったらしい。
顔をしかめて(笑)曲がったことが大嫌いな人だったと聞いた。
もう、ついには母の年齢を超えてしまって、
しかもアルバムの母はもっと若い
とうとう私よりも年下になってしまっている。

私はどんどん母から遠退くように年を取って、母のアルバムをながめる、
もはや年下のかわいい大切な人と。

それがとても悲しい。

気持ちをまとめるために始めた

シンクロニシティが頻繁におこって気持ちが悪い(笑)
もうここまで来るとさすがに。
だからといって何か劇的異変が起こることもなく日常はいたって平凡。


地震の起こる一年くらい前から、
今日まで平凡だなんて言える口がおかしいのか。

自分の発してるものが様変わりでもしたのだろうか。


ブログを書くのはいつだろう、書きたい書けないのせめぎ合い。
と思い悩んでいたらそういう記事を書いてる所に行き当たる。
それもシンクロニシティについての記事で、書きたい時に書く
自分のために書いてるこういうまとまらず気持ちが悪いときに。

以前なら全然無かった不思議なことを書いてる記事にも良く遭遇するし、
SFの世界気分。

「人生は壮大なドッキリ」
あの世に行く前に「知らなかったのはあなただけで、みんなで見てたよ」
なんてなことを言われる荒唐無稽な妄想。

偶然がひとつとかじゃなく丸ごと起こる、
自分で育てておいて壮大過ぎとか(笑)自分のおつむでは処理しかねる
落ち着け、でも変すぎる。
昔はブログを毎日アップしていたが随分引っ込めた、
個人的な恥も随分書いていたし、今も。。
憤ることは書きすぎて重複し、
同じような内容だと思い当たったり。
何も起こらないのが普通、永遠に続くと思っていた。
平凡を絵に書いたような日々に一変して非凡を感じて、
だからといって何が起こるでもなく(混)

読んだことがない衝撃

今頃、沼田まほかるの「アミダサマ」を読了。


しかし今回の、アミダサマ

自分が思った感じたことと重なることが余りに近況、この時期に読んだと言うことにも
一人驚きつつ。これは自分自身にしかわからない感想だとは思うが。
これは宗教色の強い物語であるし、ある意味あの世の一歩手前現実離れ甚だしい
恐怖とも言える小説なのに。

この小説一冊分の中で何故自分にだけ度重なる大いなる偶然の一致で(笑)
(間違いないと)勘違いを起こさせるのかと訝るほど。
それによってもうひとつには、
霊的存在を信じさせるのだが、いたずらな霊なのか精霊なのか。
この小説の言う、この世で起こる目の前の現象が妄想のひとつであるとか
はたまた時空の歪みとか言うものであろうと、
今の自分にとっては現実であって、受け入れがたい。

小説の内容、律子の存在が余りに憐れに感じた、
この人の価値観は今のこの世の中では哀れ以上の何物でもないのでしょうが
このように頭が怪しかろうが心根の美しい人は
坂下という男の人がする扱われようが一番正当だと思った。
でも坂下より暴力的な悠人という男を母性の塊のようなかたちで愛する律子。
魂としては神々しささえ感じて。

入り込んで書いてあると思った。
そうでなければこんなリアルな描写は書けないと、
小説の中、ここに居て、作中の人となって書いているという感じ。
浄鑑同様全身全霊で書かれてる様を感じて。
映画でだってこんなにおどろおどろしい描写も微細な感情表現も見たことが無いから。
僧侶浄鑑(じょうがん)の祈祷場面(行者が行うような念のようなものは使わない主義)
ただひたすら南無阿弥陀仏で。
現実離れした状況で母親を失う際の内面描写とか、よく体験しない状況で
普通擬似体験しなければ書けそうに無いのに、しかも非現実的な小説なのに

ネタバレ
ミハルの体験した深淵なる恐怖、不安、怒りの感情などが、
後に受けとる愛で安定していこうにも
(カアサン)本当の母ではない、の死によってそれらの情念が再燃してしまう。
浄鑑は祈祷によって守り、
もはや妖怪然とした(最愛の母をも自らの手で、)結果二人とも亡くす。

作中ほとんんどの人物に究極の愛の示しかたを感じ
最後のページですこし混乱してしまった
亡くなったミハルは悠人と律子の子として、今から生まれるのか
何か厳しそうな始まりのようでコエがなくミミ(聞こえるはずない呼び声を聞く)のもち主悠人、
無間地獄という言葉を思い起こした。


今の世の中でなければ沼田まほかるの作品はもっと高く評価されて良いと思う。
まず、男性が理解(女性目線でなければわかり得ない)できないから。
映画化なんて絶対に無理、映画監督が怪我をするだけ、して欲しくもない。
劇画的な作風なら感性の合う人は出来そう。

これで未読の作品「ユリゴコロ」のみとなった、すこし寂しい。
これだけの闇を分析表現出来てる、闇の世を生きるヒントになりそうだから
糧でもあるし現代を生きる人間を知る上で指南書にもなるようで。

そもそも日産が

そもそも日産の経営不振でゴーンさんに白羽の矢が立ったことから
余り日産が好きではなくなった。
好きな車種が全部無くなったことで、道路を走り行く日産の車種ばかりが
日本の経済発展のシンボルとしては強烈な印象に残るものであったにもかかわらず
ほとんど全部が消え去ってしまった。
引き継ぐ車名もイメージも。
それをみることで思い出す過去の郷愁みたいな想いも。
日本車の特にセダンがコーナーを優雅に曲がる厳かさなんて「何のこっちゃ」てなもんなんでしょう。
運転していて後続に付けてる時も日本人の規律を感じて誇りに思う。
カッコいい民族だなって。

丸ごと外車にされたようなまるでゴーンさん好みの強くインパクトあるフェイス
このような成り行きになってしまった日産の悲劇。
ほら見たことかゴーンさんの言い分、自国を守り日本をけなすゴーンさんの取り巻き。
日本がすぐに陥るこの状況は今の韓国軍艦海軍でも同じようなパターン、
気を遣いすぎて言いよどんでる場合じゃない。

傍目に見つつ人事(ひとごと)、、ああもう絶対に日産は選ばない。
日本の唯一を外国に頼む、そこからして悲劇。

謎な現象


もう何かこれ一杯だけで充分です。
体重は1.5㌔くらい増えただろうか、でも何とか40㌔台はキープ。
少々ダイエットが必要。筋トレかな

食べすぎて
胃のあたりが重いと寝覚時にも同じように気分が重いように錯覚起こす
そういうときは漢方薬の半夏厚朴湯を寝る前に飲むようにしてる。

去年から毎日続けてるのが瞑想、初めは5分から、10分15分と
猫が邪魔し、主人の観るテレビの音が邪魔し、雑念との戦い(笑)

余りに続くと気分的に断念してしまい元の木阿弥

たまに目の前に紫色(何なのだかすごく綺麗)の丸い光が見えることが有って、
見えるときは集中していて
見えない期間が長いとすこし残念に思う、だが確かに雑念が多い時のような。
光を調べたら丹光と呼ぶものらしいが、
真っ暗な部屋でやると(白っぽくなる)見えないから
太陽光が関係してるのではないかと

最近不思議なことが(偶然みたいなことが)よく起こるようになってるから、
引き続き謎なので続行中。胸中がクリーンでないのなら間違ってるのだと思うから
改める方向で。

占い

昨日の地震、揺れはあまり感じなかったけれどスマホのただならぬ
警報音に多少慣れの有った地震速報
「動け~、動かんかい、ボケ!」(笑)と言っているのを感じ取り
ボンヤリ感をハッキリと目覚めさす。
北区の被害は前回あまりなかったのに、まんべんなく熊本市なのか。


芦田愛菜ちゃんが高嶋ちさこさんをリスペクト、
さすが愛菜ちゃん見る目あるわ。

占いというと星座占いがあるのだけれど、私は(てんびん、)
何故か縁のある星座というと
水の宮で(魚座、かに座、さそり座)、特に魚座なんてトップクラスで多く
昔飼ってた犬の「ジョン」コピーまでもが(笑)ジョンは全力で魚座だった。

性格的には流されやすいらしい、お魚なのに。
マグロじゃなくシャケを目指したら良いのにと思う。
でもその中でもかに座はすくないかな
かに座って根は悪い人じゃないのに誤解され易いよう、
そして家庭的。
後、火の宮、しし座、いて座に縁ある感じ、
おひつじはリーダー的、強くて面白い感じ、ちょっと怖い。

あまり星座の相性の良し悪しを感じない、何だか調べたらおとめ座の月運が
入ってるみたいで小さい頃は「文学少女」と友人からのからかいみたいなのも
有った。おとなしいとか、人見知りも、今は全然しないけれど(笑)
昔は私がどうやらおとめ座っぽい部分が、、とでも言おうものなら、
なんで○○ちゃん←私の愛称が、と目くじらを立てられてたほど
似合わないらしく、、、乙女というイメージがないんでしょうよ、ハイハイ
運動も大好きだったから、
お勉強はあえてしない主義を貫いて「馬鹿やってたと思う」(by友近)ほんとに
天皇家など星座の相性など超越されておられる。

私は個人的に真面目な人が好きだし土の宮(やぎ、おうし、おとめ)
星座がわかっていて見る芸能人などでは
おうしは凄いと思うのだがなんだか後によ~くがっかりすることがある
だからすこし遠慮がちに見るようにして(笑)

案外相性が良いとされる風の宮(みずがめ、ふたご、てんびん)
最近出会わないな~
風サインの調子のいい人は苦手、すこし傾向有ったりして、自分もだ(笑)

初心演説


ワンポイントみたいな「にゃ」何かを期待して待つ「にゃ」
しっぽがいい感じ。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくでございます。


初詣は去年と同じ所へ、氏神神社は小さいですが結構な人出。
感謝参拝と年頭の初心挨拶みたいなものでかるく
でも、心構えは大事ですから。

家の中は暖かいのでついついコートで出て震える。
ダウン着てくるんだった。
懇意にしている神社が増える、ぼちぼち挨拶するとしましょう。
にゃさんが行くとこ行くと先回りしようとして踏みそうになる。
たまりません。
今回テレビが大画面になったので思いついたのが
ガキ使と紅白とを同時に観るとか、二画面にしてすぐ切り替える。
こんな見方は年末のみ。
紅白は三浦大知がかっこよかったPerfumeは
背景がうるさく三人が霞んで見えて残念。
ガキ使は相変わらず浜ちゃんの扮装にも最後まで笑えた、逸材だ。
頼むから真面目な顔しないで(笑)タイトル通りの。
ローラがジミーちゃん枠みたいな扱いで出ていて一番笑った。
プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







人と同居しているのは

サバ虎の
ねこ




まざーぐーす
だんだんばかに
なってゆく
に抗うべく
文章作成







日常のグダグダを
まとめ整理する
のーと

そして
まとまらないという

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