叱られることの裏読みもしてみたら

最近の心斎橋無差別殺傷事件とか、そのほかの無差別殺傷事件犯人の言い分。
自分では死にきれず、死刑になるため他人を殺人 …絶句する

死刑制度を利用した、自分の始末の付け方が。
卑怯と言うか恥と言うか。

なんというものの考え方をしているのだろう、
特に「男たるもの」と考え自分の始末の付け方いつもこだわっているように思うのに、
恥になる死に様は死んでも選ばない。
では、この形は恥ではないのか


生きるのも嫌だ、自分で死ぬのも嫌だと、
どんなにいきがって生きてきたところで自分が痛むことはしたくないし苦しむのも嫌だと
他人を殺したり傷つけたりして、、ただ自分は痛くないから平気。
そこまでして結局は人に指図されないと自分の生死さえ決められない。

子供の頃、行動言動は周囲に見守られ
中には理不尽な叱責も受け憤慨することも有ったりしても
先行く大人にいろいろなことを教えられたりはしたものだった、
自分で考えて修正を重ねる。それをしないと後で困るのは自分だから
なぜ、叱られることに怒りしか覚えない?
ちょっと考えれば無視されるより叱られる方がずっとましなはずだけど。

みたまんま額面通りしか受け取らないで裏にある想いとか慮る、
それが成長と共に身に沁みないと。恨んでばかりの人間が出来上がる。

大人は大人で(自分も含め)、褒めつつ叱りつつの加減が下手だから
せっかくの人材も無駄にしてしまっている。

プロフィール

CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







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