それに比べて頼りない自分

私にとって母との生活は短い間だったが
短くても濃くて強い印象を残してくれた。

母は私にとって最大の安心を与える人であり、正義の味方だった。

それは小学校で低学年にもかかわらずベテラン先生の女先生が担任になってしまった時のこと。
授業時間が恐ろしくて仕方なかった、指名されて解く算数。
黒板の前で先生がいちいち怒鳴るので頭が真っ白になってしまい
適当な数字を書き殴っては、ますます怒られたという記憶(笑)

全生徒を恐怖のずんどこに陥れるという、少し小太りのメガネの先生だった。
あの口調、あの威厳、どう考えても高学年を受け持つべき。
休み時間になると怖さのあまり、
終業チャイムが鳴るのを待ち遠しく待ち、
そそくさと校庭に出て友人と恐怖の感想の時間に充てていた。

学校に行くのが憂鬱だった、憂鬱だった日はこの日ばかりではない
集団予防接種の日もしかり(体育は得意だったが)
水泳の有る日←小学生の頃は泳げず今は飛び込むのと潜るのが好き
相変わらず、さほど泳げず(笑)
「給食残すな」の時間、何かしらの発表の日も
当の私も母も、気をなだめる、奮るいたたすはで大変だ。

小学二年生
学校での良い事も悪い事?も仕事から帰った母親にいちいち報告していた。

小2の私の誕生日会に先生が来たこともあった。
「なんて最悪な誕生日なんだ」と思ったのは当の本人の私ばかりではない
呼ばれた友人も同じ思いだったと思う(笑)
誕生会のメニューは面白い、私の好物だけど、
それを網羅するわけにはいかないから、ピックアップ
赤飯、紅白なます、茶わん蒸し、どれも手作り
その中にその三つがあったのだけははっきりと覚えてる。
なんて渋い好みなんだろう、、

しかしこの日を境に先生の態度は一変した。
接するときはにこやかになり冗談を言い、何かと気遣われるようになったし
とにもかくにも怖い存在ではなくなった。
先生の町の祭りに呼ばれたり。今のご時世なら批難されそな接待の見返り(笑)

卒業時期、クラスの委員長は手紙をくれたけど
あなたは書いてくれないのかといわれたが、
そんな立場にいるなんて
想像もしなかった。

母はいじめられてるといえば、必ず心配して何かしら行動を取ってくれた
私のGOサインさえあれば直ちに対策を練ってくれる、
いささか単純な対応なのだけれど(笑)
そのたび、私にとっての正義の味方は社交術に長けた、
しし座の頼りになる母だった。

この年になっても母の存在は頼もしいものだったと思い起こすし
自分には真似できないことだと、今更ながら母に追いついていない自分に
情けなくなるのだった。

プロフィール

CHAKOMO

Author:CHAKOMO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







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