何の為のお笑い?

酷い事をネタにする芸人さんがいる。
逆に世の中に警鐘を促すためにあえて酷い自分を晒しているのかと思ってしまう。
体の不自由な人を笑ったりする事や、行動に起こさないまでも陰口や差別的扱い。

昔居た石を投げつける子供らを見ることからもわかる。
昔は「家」が機能していたから子供のはばからない石を投げつける等の行為は、
親がそれを公認するような言動が有ったのだと思う。
親の思いが子供に石を投げさせる。

障害を持たずに一生を送る保証なんか無い。
不慮の事故、病気、老いて死ぬまでその機会は巡って来る。
酷いネタで笑う事は、未来の自分を今にうちにと笑っているような物。
「転ぶ」「落ちる」こんな動作に笑うのは子供の頃からのすり込みも有る。

絵本などを見せて、落ちたり転んだりの動作に笑うのはかっこの悪い体裁の悪さも有るのかもしれないが、
「大した事無くてよかったね」って言う安心の笑いも有ったりするんじゃないだろうか。
本当ならば「大丈夫?痛くなかった?」と幼児の口から促すべきを、
笑ってしまう教育を繰り返すうちに日本人全体が同じ反応をして
「笑う」と言う行為に至ってしまうのではと思う。


ところがその内「痛い思いをしているのに笑うなんて酷い」と言う段階へ移行して行く。
そうして自分と置き換える事で相手の痛み辛さの感受性が身に付き
笑う所と笑えない所とに差が出来てくるのだろう。

酷い事をネタにする芸人さんのネタで、笑える人がいるのは成長の停止状態で、いた仕方がないのかも。
皮肉な笑い。それを軽蔑する事は何故か出来ないでいる。
何かを社会に訴えたいのならばそれをやる所はお笑いの世界じゃないのにと思う。

何故芸人さんを目指すのか
それは、幸せそうに笑う笑顔を見たいからじゃないだろうか。
芸人さんが笑わせる芸と、さげすむ事は全く違う。

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CHAKOMOKO

Author:CHAKOMOKO
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