人類学に何故か惹かれて



これ、読んだほうが良い。

長女が詩人会に入っているという経緯で
今は熊本に在住されているという作家の、
渡辺京二さんと知り合い、勉強会のようなものに参加、
その回はイギリス児童書のことについてのお話だったとのこと。

そこで配られたプリント用紙に感想など書き込んで持ち帰ったものを見せてくれた。
なかなか楽しそう。

日本の古い時代の人類学についての書物もかかれていて、
「菊と刀」では米国による記述で、渡辺京二著書の長女が奨める本
「逝きし世の面影」は
オリエンタリズムやら主に英国世界中の人類学者が
日本を語るのだ、大変専門的でとてもハイレベルな書物で難しい。
これもなにかの縁、足りない頭でもなんとか最後まで読んでみたい。

今日は雨
晴耕雨読です、耕さないけれど
以下妄想の末の戯言とことわって敢えて書いてみる

(生と死という言葉が適切でないのだとおもう、イメージが強すぎて)

人間の生き死に、ずっと謎だと前にも妄想を書いてもきたが
性懲りもなくまたです(笑)

本当はどちらともつかないのかなと。

生と死の概念、あの世とこの世
今私たちは生きている、これは当然ながら生で
死に行く世界は死。
でも、「生」の現世が(この世)かどうかも良く解ってないのに、
誰かに聞いて生まれてきたわけじゃないし。
あの世とこの世の区別はなに?どっちにいるの?

実は今が死(あの世)←名は気に入らないがそう仮定して
今が死なんだからと自由に生き死を選んではいけない、
生まれるのと同じように神の采配
だから実は自殺するのも自然の成り行きで行き詰まった者の
自然な選択で、、有った。
これが書くべきことではない避ける表現とはわかっていても、、

許可されたものと曲解し肯定的に受け入れたなら
人は自信を持って死に急ぐから
絶対に受け入れられない考えだから、でも敢えて書いてみる、強行に(笑)

常識的に捉えて書いてみるけど
→ここから非常識)たとえ自殺であっても死に逝く人はやはり
「選ばれている」のではないかと。
だから生かされているという言葉が在るように。
死は=生かされなくなった、というわけではなく、呼ばれた(笑)
それは犯罪や悪事を働いた者にも、
認識するしないに関わらず現世に残されたり、呼び戻されたり。

妄想ですのであしからず。
よく解らぬ同士でもめる話題ではある(笑)

アメリカの映画で「ジョニーは戦場に行った」これなんかは究極と思うのだけれど。
過去の因縁だとは言いたくないが。
あの状態で生きていたいなら逆に狂気の沙汰だから。

雨になるとなりがち
徒然なるままに日暮らしタブレットにむかいて
心に移り行く、、
あやしうこそ、、である。


読み返してみても、頭痛いな(笑)
プロフィール

CHAKOMO

Author:CHAKOMO
196○年
9月後半生まれ
初期の目的を見失い、うだうだ言ってるばかりの記事ですが
自分を客観視もできるし、不定期ながらなんかやめられなくなってる。







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